第一話 ささやかな聖域
サイキカツミ

 

■Bob Marley/JAPAN
A
1.Rastaman Vibration
2.Concrete Jungle
3.I Shot The Sheriff
4.No Woman No Cry
5.Lively Up Yourself
6.War|No More Trouble
7.Running Away|Crazy Baldhead
8.The Heathen

B
1.Jamming
2.Is This Love
3.Get Up Stand Up
4.Exodus
5.Bob Marley Interview


 
 僕らは夕方になりそうな時間になってから近所の川に散歩にでた。
 穏やかな日曜の午後。河川敷は野球をする集団がいたり、淡々とした歩足で永遠かと思われるようなマラソンをしたり、趣味か友人仲間だろうか。バーベキューを楽しむ者たちもいたり、子供達が走り回っていた。その風景は、どこか牧歌的で、つくりものめいた様子ではあるのだが、悪いものでもはなかった。日々の雑事を一瞬でも忘れさせ、心を穏やかにしてくれた。遠くに長い架橋があって幅の広い川の両端を結んでいる。
 歩きながら、僕らはぼんやりと色々最近あった話をしていた。ここ一週間ぐらいは互いに忙しくて、ろくすっぽ会話をしてなかったのだった。とはいっても、たわいもない話で大袈裟なものでもなかったのだったが、そう。人は歩きながら話すのが心地よい場合もある。
 土手の下の方の斜面からギターを鳴らす音と、コードに乗せて若々しい歌声が聞こえてきた。たぶんあれはブルーハーツだ。と遊歩道から土手を覗き込むと、高校生だろうか。短髪を逆立てるようにして整えた少年が、身の丈に合わないような大きなアコースティックギターを抱えて歌っていた。その側には彼の彼女だろうか、膝を抱えた格好でじっと見ていた。
 少年はふっと歌いながらまったく別の、架橋の方に向いた。そこには二人の少年がいて、片方はまた違ったアコースティックギターを持っていて、少年に手を挙げて合図した。少年の仲間だろう。
「若いっていいね」と響が小さくいった。
「うちからギター持ってくるか?」
「ふふ。いやよ」
 彼らはやがて合流して、ちょっと今までと違ったコードを弾き始めた。
「あ」
 響は反応した。「ノー・ウーマン・ノー・クライよ」
 確かに彼らは二人合わせてレゲエのリズムを鳴らして歌い出した。ブルーハーツとボブ・マーリー。僕らが彼らの頃にはその両者を一緒に聴いたりはしなかったな、と思っていると、響が一緒に歌い出した。
♪のー。うーまん、のーくらい。のー。うーまんのーくらい。
 で、結局そのサビの部分しか歌えなかったけど。
「あはは」と響は軽快に笑って「この歌って、女の子、振られる歌なんだよね。男って身勝手なのよ。世界中」。
「なんだよ」
「自分で振っといて、泣くなよって酷くない?」
 そりゃあ、酷いわさ、とも思うけど、それってどっちもどっちじゃないかと答えると、「甲斐性なしじゃあ、振る前に振られてるわ。最初っから」
「ひでえなあ」
「がんばんなさいね」と響は僕の背中を叩いた。それで「あー」と声をあげた。
「髪。髪。ぼさぼさじゃないの。ちゃんと散髪しなよ。そんなんじゃあ。女の子にもてないわよ」
「忙しかったんだよ」
「関係ないわよ」
 いっそのことこのまま延ばしてレゲエのおじさんのような髪にしようか、と冗談で話してたら、いつの間にか近づいていた架橋の下から、本物のレゲエのおじさんがのっそりと首を出した。ぼくらは、はっとして口を閉ざした。
  おじさんはちらりと僕らの方を向いたが、すぐに興味を失ったように目を伏せて、川の流れの方に枯れた芦を掻き分けながら歩いていった。
「本当の平和主義者って、彼らのことかも知れない」と僕がこぼすと、響は「それでも新宿とか街中では喧嘩してるらしいよ」と答えた。
「そうだよね」
「レゲエって一体なにかしら」
「ここにはあんまりレゲエって合うような国じゃないのかもね」
 勿論、なにか神様の名前を歌の中で呼んでいたような気がするのは忘れていない。だが、それがどれほど心に響いただろう。人々に記憶されるのは、歌だった。神は忘れられて歌だけが残る。
「でも、案外合うかもよ」
 響が明るい声で言った。ほら、奈良の大仏とボブ・ディランの組み合わせのように。
 橋の近くの遮断機が鳴る音が聞こえた。僕らは立ち止まって電車が橋を駆け抜けてゆく様子をじっと見ていた。合うと思えば合うような気がする。合わないと思えば合わないような気がする。それはまるで、書き割りのような日曜の午後の河川敷のように、どっちつかず、いささか微妙な情景に思えた。
「帰ろう」と響が言った。
「うん」と僕は答えた。合おうが合うまいが関係ない。僕らのささやかな聖域に。