「scream*machine」の麻草様から祝辞を頂きました。 ありがとうございます。

祝辞
麻草郁

 死は近づくものではなく、たどり着く場所だ。死に呼び名をつけるのなら、それは「完全な停止」と呼ぶことができるだろう。死者のまなざしは動くことなく眼前を見つめ続ける。前にも進まず、後ろを振り返らず、変わることなく。
 死への恐れは、僕たちが未来を想像することで生まれる。明日の朝、君はベッドの中で目覚めることができるだろうか?今日の夜、君は呼吸をしているだろうか?一時間後、脳の微細な血管が破裂して君の意識が永遠に途切れないと、誰が保障してくれるのだろう。
 だがしかし安心したまえ、君は死を知ることはない、なぜなら僕たちの生は感覚に属するが、死はその外にあるからだ。そしてその外にある死を、君はよく知っている。今君が見ているこの言葉、これらは手を加えられなければ変わることなく、君が見ていないからといって前や後ろに動くこともない。
 僕たちは、キーボードを打つたびに死んでいる。
 僕たちの脳に浮かんだ言葉は、打鍵されるたび、僕たちの感覚から切り離される。つまり、僕たちは言葉を生み、そして殺しているのだ。君から生まれた言葉の死骸が、いつか宙をただよい僕のもとへとたどりつくかもしれない。僕の言葉が君にたどりついたように。
 これから君が人生の中で出会う言葉たちは、数百年前に死んだものかもしれず、昨日死んだものかもしれない。けれどその言葉たちが君の脳にたどりついたとき、それらは君の血肉になるだろう。そして言葉だけが生き続ける。
 死が恐ろしいのならば、言葉を書き遺せばいい、変わり続ける生の中で、死を刻印し続ければいい。君を脅し続けるもの、虚偽の理想、それらを打ち倒し、苦痛を取りさる方法は、言葉の中に必ず見つかるはずだ。