ファンタジー映画の見方 ヘッダータイトル 

 
 ぼくごときがおこがましいことに、ファンタジー映画の見方などいう偉そうな題名の文章を書くことになったのは、きっとぼくの普段の行いが悪いからなんだろう。たとえばこの前「座頭市」という映画を、ぼくはどこで仕入れたのか「座頭市が主役の勧善懲悪」という誤った先入観で観てしまった為に、最後まで座頭市に感情移入しようとして薄ら寒い思いをした。物語の中で登場人物たちは、誰もが過去を背負い人間関係を背負い、長ったらしい回想シーンを背負っているのに、座頭市が思い出すのはただ殺戮のみで、過去も感情も闇の中なのだ。おかげでぼくにとって映画「座頭市」は踏み潰される市民をはるか50メートル上から眺めるゴジラ映画のようなものになってしまった。

 ファンタジー映画の正しい見方、それはぼくのような間違いをおこさないことだ。たとえば「指輪物語」でボロミアだけに感情移入した人はいないだろうか、ぼくの友達で薬物依存のある人が泣きながら「フロドは偉いよ、俺はあんな立派になれない」なんて言っていたが、そしてその感想は正しいのだが、あまり正当な感想とは言えないだろう。ただジャンキーが山に薬を捨てに行く映画を何万人ものジャンキーではない人間が観ることはないからだ。

 「トレインスポッティング」はジャンキーがテレビを買うために薬をやめようとがんばる真面目な映画だが(未見の人の為に書いています)、観客が見たかったのはジャンキーがどうやってドラッグをやっているのかというところであって、主人公がドラッグをやめて真面目に働き出してからの展開は、ポルノ映画においてSEXとSEXの隙間に入っているドラマのような無意味なつけたしに過ぎない。もちろんよくできたポルノ映画と同じように、その無意味なつけたしがあるからこそ「トレインスポッティング」は面白いのだが(たとえばオマージュ精神あふれるタランティーノは、過去の映画からの引用で作ったつけたしと、見せ場のバランスがとてもうまい)。

 どうでもいいことだが、映画をいっぱい見ている人はなんで映画を見るのだろうか、ぼくは現実よりもいくらかマシだから映画を見るようになった。ほとんどの映画なんか好きではないし、できることなら見たくはない。だから、なるべく面白い映画を見たいと思うし、好き嫌い以外の理由で映画をつまらなくするのはもったいないと思う。インターネットでよく見かける、色々なジャンルの映画をとにかく全部見て、明らかに得意ジャンルがあるにもかかわらず、合わないジャンルの映画を見て文句を書いている人は、とても間抜けだ。ぼくそういうふうにはなりたくない。映画を見るのは恋愛をするようなものだ、だから、ちゃんと合うかどうかを調べてつきあった方がいいのだ。27年生きてちゃんと好きになった人が数人しかいない(しかも相手がどう思ってるかなんてわかりもしない)ぼくが言うのだから、この説には間違いがないと思う。

 ところでいまぼくはテレビをつけたまま原稿を書いている。テレビでは就学に問題のある児童を集めた合宿所のドキュメントが流れていて、モザイクをかけられた高校生たちが、学校を追体験している。きっと彼らは真面目なんだろう、不良だってヒキコモリだって、すごく真面目に考えるから「学校に行かなきゃならないから行きたくない」なんて思うのだろう。学校なんて、怒られない程度に適当に行けばいいのに、たまにはサボって映画でも見に行けばいいのに。外国で作られた、十分に一回ずつおっぱいと爆発が出てくる映画や、みっともない殺人鬼が、キャーキャー騒ぐ不細工な女を殺すだけのつまらない映画でも見て、世の中がくだらなくて、適当にできてるってことを日記に書いたりすればいいのに。

 ずいぶん話がずれた。ファンタジー映画の正しい見方、それは、個人的な問題を超越したものすごい速さで展開する世界の動向が、個人におよぼす影響を俯瞰することだ。ぼくらがこれから生きてる間に「個人的な問題を超越したものすごい速さで展開する世界の動向」なんてものに直接の影響を受けることは、たぶんない、もっとくだらなくて糞みたいな出来事(たとえば恋愛とか)でしか、ぼくらみたいな矮小な生き物は変われない。

 ミヒャエルエンデの「ネバーエンディングストーリー」は、うだつのあがらない少年が世界を救う話だ。三度映画化されたが、一作目で主役の少年を演じたバレット・オリバーは、そのあとの四年間で数作の映画に出て、「コクーン2」以降、行方がしれない。

 現実はいつだって薄ら寒いが、映画の中でならぼくらは世界と対等に対峙することができる。うだつのあがらないサラリーマンが世界の変革に立ち会ってしまう「マトリックス」を良質なファンタジー映画と呼ぶことに異論はないと思う(SFとして見て文句を言う奴は、穴に落ちるアリスの落下速度でも求めていればいい、たとえそいつがウィリアム・ギブスンだとしてもだ!)。

 良質なファンタジー映画は、ぼくらが小中学生のときに抱いていた、世界との距離感を的確に表現している。だから極端な話、舞台が異世界でなくてもファンタジー映画は成り立つ。中学生映画の金字塔「ベストキッド」は、見た者を全て成長させた気にさせる「ベストキッド効果」を生み出した。だが、ファンタジー映画としては、アクション俳優のチャック・ノリスが喘息もちの少年の幻覚として現れる「サイドキックス」の方が何倍も上質だ。なぜならラストまで見るとわかるが、この映画の主役は、まごうことなくチャック・ノリス(少年にとっての神)だからだ。


 ファンタジー映画は神話的構造を芯におきながら、観客の願望を充足させる為に作られる。ぼくらは神にはなれないが、神の命を受けた戦士にはなれるというわけだ。そしてそれはとてもくだらなくて楽しい。「コナン」を演じたシュワルツェネッガーの胸板や、「レジェンド 〜光りと闇の伝説〜」のトムクルーズはとても面白い、スターウォーズのスピンオフ作品「エンドア 魔空の妖精」なんかも、たくさんの可愛いイウォークが出てくる楽しい作品だった、どれも内容はまるでおぼえてないけれど、面白かったような雰囲気だけおぼえている。映画に過剰な意味なんかを付加して偉そうに語るのはもうやめようよ、本当にいいファンタジー映画ってのはきっと、内容をまるでおぼえられなくて、何度も観てしまうような、そういう映画なんだよ。

 

---文中に出ていないけれどオマージュをささげているファンタジー映画---
バロン
  ほら吹き男爵の冒険です。
戦妃ジーナ
  でかいお姉ちゃんが出てきます。
ウィロー
  小人がいっぱい出てきます。
ダーククリスタル
  人間が出てきません。
WIZ
  マイケル・ジャクソンが出てきます。
   「オズの魔法使い」黒人キャスト版です。




本部中に上げたれたものの中で
現在容易に入手出来る映画を集めてみました。

ロード・オブ・ザ・リング

トレインスポッティング


ネバーエンディングストーリー

マトリックス


ベストキッド

コナン・ザ・グレート


レジェンド

エンドア
編注:
ビデオのパッケージしか
発見出来ませんでした。
廃盤? 残念。


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