不思議の世界 タイトル  どうしてポストは赤いのか。どうして空は青いのか。どうやって子供は生まれるのか。
 幼児時代は全てが不思議でした。今でも不思議で仕方がないこと、知りたいことなどは沢山ありますが、それでも昔に比べると色んなことを学びました。1+1は2だし、1−1は0だし、5673×98762はとても大きな数になります。
 僕たちは不思議が大好きでした。いえ、今でも大好きなはずです。謎や神秘は僕らの中で永遠のアイドルなのです。
 謎、神秘。つまりミステリーです。僕らは生まれたときからミステリーが好きだったのです。そういうことで、ここは生まれて間もない赤ん坊並の知能しか持たないミステリー初心者のヤマグチが、偉そうに知ったかぶりを全開にして、皆さんにミステリーをご紹介するコーナーです。

 第二回 前向きになれる不思議
ヤマグチ
乙一 きみにしか聞こえない

乙一
『きみにしか聞こえない』
角川書店


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乙一 『きみにしか聞こえない』


 連載二回目にして早くも題材選びに迷ったのだが、今回は特集ページのテーマが『ファンタジー』だったことに絡め、本作について書いてみたい。作者は乙一、角川スニーカー文庫からの出版ということで敬遠する方も多いかもしれないが、是非先入観にとらわれすぎないことを期待したい。

 さて、短編集である。『Calling You』『傷』『華歌』の三本を収録している。それぞれ、「脳の中に具現化された携帯電話」「他人の傷を自分に移動させることのできる能力」「病院で歌う花」を題材にとっている。これらは紛れもなく「不思議」であり、話の中に潜む「謎」はどれもファンタジーである。

 水戸黄門はご存知だろうか。「人生楽ありゃ苦もあるさ」のアレである。この三本の短編はどれも「苦ありゃ楽もある」の形式になっている。雨が続いた連休の最後の日、見事に晴れ渡った空を見上げたときの気分を思って欲しい。本作の読後感はその感情に極めて近い。

 どれも舞台は現代日本だが、あまり世界観には触れられていない。言及する必要がないからだろう。世界が多かれ少なかれ苦悩に満ちていることはどこも変わらない。描かれるテーマは生き難い世界で生きていく人々であり、そこにあるわずかな救いである。

「この町は見渡すかぎり錆とガラクタに覆われていると思っていた。でも、そうじゃなかったんだ」(『傷』より引用)

 作品の主人公はそれぞれ女子高生であり、小学生の男の子であり、入院しているまだ若い患者であったりする。コミュニケーションがうまく出来ない、家庭に事情がある、事故で愛する人を喪った。主人公たちはそれぞれが悩みを抱えて、後ろを向いている。その中で触れた「不思議」によって、彼らは生きる力を手に入れていく。

 鬱屈した世界でのみ生きる主人公たち。彼らはやがて「不思議」と出会う。そこから得た生きる力は輝かしいものであったが、何も絶対的に「不思議」が必要であったのではない。何かを信じるきっかけが欲しかっただけなのだ。世の中はそうそう苦しいことばかりではない。

 どうしてか、人は何かに勇気付けられる。それが特異なものであるケースはきっと少ない。けれども、何気ない他人の言動に救われることは多いだろう。冷静に考えれば大したことではないのに、すっと気持ちが前向きになっていく。これは人の心の謎の一つである。

 乙一はその一瞬の謎を切り取り、話を作り出した。小説という表現媒体であるから、そこにはいくらかの虚構や強調が含まれるだろう。ファンタジーによる脚色もある。本作では、そんな虚構と強調と脚色の中にも、しっかりと心の謎に触れる部分がある。誰にでもある一瞬だからこそ誰もが理解できる。本作を読了した頃、悩める人は一つの答えを見出せるかもしれない。