MYSCONの個別企画として、定番となっている「読書会」。これまでに『象と耳鳴り』『鏡のなかは日曜日』『法月倫太郎の功績』などが取り上げられてきました。そして、今回は、島田御大。
正直、島田はかなり相当に猛烈に大好きだった時期があるのですが、周囲にミステリー読みがいなかった私には誰かと論じるという経験が皆無。ドッキドキでの参加だったのでした。

このページは、完全に、ことこの主眼によって、ことこの好みで参加させていただいた読書会のレポートとなっております。ご了承ください。
他のページも、ことこの主眼で、ことこが書きたいように書き散らしておりますが、まぁ、なんていうか、その、度を越している?っていうのかしら?そのへんお察しください。

読書会 事前案内サイト

まずは、MYSCON公式サイト内の事前の案内ページをみてみるところからスタートです。
ここを今御覧になっている皆様も、まずは事前案内サイトにさらりと目を通してからお読みください。今後、このページ内で特に断り書きなしに引用している箇所は、この案内のページから引用しているものです。

以後、『ネジ式ザゼツキー』のネタバレをふんだんに含みます

読書会 島田荘司『ネジ式ザゼツキー』

レジュメ 読書室にわりあてられた部屋に、おずおずと集合。テーブルの上にはレジュメがのっていました。

ひとつはスタッフによって用意された、事前サイトの簡易版。そして、もうひとつは、参加者が用意した「『目眩』との比較論」のレジュメです。なるほど、たしかに『目眩』と『ザゼツキー』には非常に大きな共通点があります。濃い。議論のギの字も見えていないうちからすでに濃厚です。

しかし、残念ながら、この企画の主催である蔓葉さんの「『目眩』を読んでいらっしゃらない方はおりますか?」という質問にパラパラと挙手が。
戒律
4.『ネジ式ザゼツキー』の読書会なので、他の作品群にはあまり触れないこと
の摘要もあって、『目眩』との比較論は、あまり深くは行われなかったのでした。

自己紹介と、一言感想

肩慣らしとして、参加者の皆さんに自己紹介も兼ねて『ネジ式ザゼツキー』全体を通じた感想を一言お願いします。なお、この後の論点に関わることは匂わせるぐらいだと、後々議論が白熱するかと思っているのですが、そんなに気負うことはありません。
ということで、まずは順番に自己紹介と、一言感想。
匂わせるぐらいで、のはずが、しょっぱなっから皆さん飛ばします。

「一言で言ってこの作品はクソですね!」
「前半は面白かったけど、後半はなんだかいつもの御手洗じゃなかったように思います」
「前半はつまらなかったけど、後半のロジックはさすがでした」
「ミタライって表記といい、人格といい、これは絶対に潔じゃないと思って読んでました」
「いや、僕はこれは面白い作品だと思いましたよ」

わあ。それ、匂わせるどころか核心ついてるんじゃ!!もう、なんていうか、オラなんだかワクワクしてきたぞー以外に言葉がみつかりませんでした。漠然と抱いていた「わたし、これ、あんまり面白くなかったんだけど、読書会に取り上げているくらいだし、もしかしたらみんな絶賛なのかも」という不安は、一撃で消え去りました。

面白いのは前半?後半?

見事なまでにまっぷたつに割れたのが、これ。前半の、タンジミール蜜柑共和国の話しは面白かったかどうか。また、後半の推理シーンと比べてどうか。

私は前半のタンジミール蜜柑共和国のほうが面白かった派なのですが、真逆の人もいらっしゃいました。いつも一人でボソボソと読んでいる身としては、意見が対立しているだけですでに興味しんしんです。

前半を評価しない派の意見として印象に残ったのは、ファンタジーとして、タンジミール蜜柑共和国の話しがまるでなっていない、という説。私はファンタジーにうといので、ちょっとピンと来なかったのですが、どうやらファンタジーファンには納得のいかない出来のようです。

もうひとつは、ファンタジーめかしているからと言って、いろいろ強引すぎやしませんか、という説。このファンタジーを推理で読み解くにはアンフェアーすぎる、と言い換えてもいいかもしれません。でもこちらはどちらかと言うと、むりくり解決してしまう後半に問題がある、とも言えます。

後半がダメだ、として出て来た理由は主だったところで以下の通り。

・御手洗の推理が「唯一無二の解答」を為してない
・科学的見地での御手洗の意見が正しくなくては、推理が成立しないのに、間違った科学的見地の上に「正しい推理」として成立してしまっている(例:スペースコロニー内において、空は飛べない)
・キヨシ・ミタライは御手洗潔じゃない!

後半、ミタライはいつも通り、素晴らしく明晰な頭脳の能力をいかんなく発揮して、部屋を出ずしてタンジミール蜜柑共和国がどこであるのか、エゴン・シーレに何が起きたのか、をズバズバと推理していきます。たしかに、このミタライの弁説に、全面的にのっかってしまえば、それは完璧な推理です。気持ちが良い。

でも、実はこれ、そうとうアンフェアーだし、そもそも、他の解答の可能性を潰していない。

これは、かなり「ナルホド」な意見でした。私がモヤモヤと感じていたものを、すっきりと言葉にしてくれた、というか。そうなんです。このミタライは、なんでも検索して調べちゃうし、その検索結果が現在において本当に正確なものか確認しもしないし。なんていうか、穴だらけだなぁ、と思うわけです。

そして、もうひとつ、この前半vs後半のキモになるのが、2つの謎の存在です。

・タンジミール蜜柑共和国はどこにあって、エゴンになにが起きたのか、という謎
・首からネジを出していた死体はなんなのか、そして、なぜルネスは冤罪を訴えないのか、という謎

後者の謎ときが、あまりにも薄い。というのが、共通した見解でした。ゆえに、後半がつまらない。ゆえに、前半の半端さがきわだつ。

でも、私が最も支持したいのは「こんなミタライは私たちの御手洗潔じゃない!」という叫びだったのは言うまでもありません。ない行間を読むのが私たちの勤めです。

島田荘司はどこへ行く

なぜ、島田はこのような作品を書いたのか。おそらく、書きたかったんだろう、というのが、結論でした。当たり前といえば当たり前の話しですが。

・「ネジ式」っていう単語を使いたかったんじゃないか。
・ちょっとファンタジーしてみたくなっちゃったんじゃないか。
・ちょっとSFもしてみたくなっちゃったんじゃないか。

その集大成が、『ネジ式ザゼツキー』だったんじゃなかろうか、というのがファイナル・アンサー。

と、ここで、ひとつ、面白い意見が。

島田荘司は、森博嗣になりたいんじゃないか

これ、なんの根拠もない説らしいのですが、なんだか、どこかとてもフに落ちるものでした。
我らが島田御大は、常に「かっこいい」ことを求めている人です。島田の目に、森はどこか前衛的というか「かっこよく」映ったんじゃなかろうか、と。

そして、そのことは、重要なことを意味します。それは「島田はまだまだ枯れちゃいないぜ」ということです。まだまだどん欲に、変化しながら面白いものを書こうとするハングリーさが島田にはあるのです。

僕らはみんな島田荘司を愛してる

さきほども触れた戒律4により、他作品への言及は基本的にできない読書会だったのですが。あまりにも多くの人がうなずいていた意見なので、ご紹介したいと思います。

前半も後半もひっくるめ、結局のところこの作品が面白かったのか否かを論じるならば、ここ最近の島田作品の中ではダントツで面白かった、という意見です。

もちろん忘れてはいけないのは、この「ここ最近の島田の作品の中では」という、ただし書きの部分。

私たちは『占星術殺人事件』を読み『異邦の騎士』を読み『斜め屋敷の犯罪』を読み『奇想、天をつく』を読んできました。そこには間違いなく、たしかに、天才の作品があるのです。その頃に比べ、最近の島田作品は勢いを失っている、というのがその場にいた人間たちの共通認識でした。けれど。その、ありていに言ってしまって「面白くない」作品たちに比べ、この『ネジ式ザゼツキー』は面白かった。それはつまり、島田曲線が再度上を向いてきていることを意味すると言えるでしょう。

島田荘司は、かつてたしかに鬼才と呼ぶにふさわしい作家でした。その場にいた全員が、そんな島田への愛に溢れているように私は感じました。

合い言葉は や れ ば で き る コ な ん だ か ら 

森博嗣のことなんか意識せず(って勝手に推測しているだけなのですが)、我が道をどうどうと、かっこよく、肩で風きって、歩き続けてください。それが、あの日あの時あの部屋にいた、おそらくは、全員の、願いです。

僕らはみんな島田荘司を愛してる。