カリガリ博士 |
フランケンシュタイン |
吸血鬼ドラキュラ |
東海道四谷怪談 |
血の祝祭日 |
ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド |
悪魔のいけにえ |
エイリアン |
サンゲリア |
バスケットケース |
ドイツ表現主義が生んだホラー映画の原点。眠り男が誘う悪夢と幻想
カリガリ博士
ドイツ 1919
監督:ロベルト・ヴィーネ/製作:エリッヒ・ポマー/脚本:カール・マイヤー、ハン ス・ヤノヴィッツ/美術:ヘルマン・ヴァルム
出演:ヴェルナー・クラウス、コンラット・ファイト、リル・ダゴファー
サイレント時代のドイツ映画を代表する傑作であり、この映画によってホラー映画の 歴史は始まったと言ってもいい。 ある街の祭の日に、カリガリ博士(クラウス)と名乗る人物が、眠り男ツェザーレ(ファイト)を呼び物にした見せ物小屋を開く。 しかし夜になると、博士はツェザーレを あやつり、殺人を繰り返していた。ついには主人公フランシスの恋人がツェザーレにさ らわれるが、 フランシスはカリガリ博士を追い詰め、博士はある精神病院に逃げ込む。何とカリガリ博士とは、この精神病院の院長だったのだ。
物語の最後に、実はこれは精神病院の患者であるフランシスの妄想だったというエピローグが、製作者によって付け加えられている。
そのために、権力者への批判という映画本来のテーマが弱められてしまったという批評もあるが、いずれにしろ、この「カリガリ博士」は、
ナチス時代の到来という時代背景としばしば深い関連をもって語られてきた。
ユニバーサル・ホラーの大傑作!フランケンシュタイン、ここに誕生!
フランケンシュタイン
アメリカ、ユニヴァーサル 1931
監督:ジェイムス・ホウェール/原作:メアリー・シェリー/脚本:ロバート・フローリー、ギャレット・フォート、フランシス・ファラーゴ/メイキャップ:ジャック・ピアース
出演:ボリス・カーロフ、コリン・クライヴ、メイ・クラーク、ドゥワイト・フライ
大阪にオープンしたテーマパークUSJが話題のユニバーサル・スタジオ。この現代のハリウッドを代表するメジャー映画会社は、第2次世界大戦前には様々なモンスターが活躍する一連のホラー映画で人気を集めていた。
1931年にはベラ・ルゴシの主演する『魔人ドラキュラ』が大ヒット。それに続いてメアリー・シェリー原作の『フランケンシュタイン』の映画化が企画された。モンスター役には最初ドラキュラに続きベラ・ルゴシが起用されたが、台詞のない役を嫌って降りたため、全く無名の舞台役者だったボリス・カーロフが抜擢される。カーロフはこの時既に44才だったというが、この役のヒットにより、一躍怪奇映画の大スターとなったのだった。生命の創造の研究を続けるフランケンシュタイン博士(クライヴ)は、死体をつなぎ合わせて人造人間を作っていた。しかし助手(フライ)の手違いにより、凶悪な殺人者の脳を使ってしまう。雷を利用して遂に実験は成功し、人造人間(カーロフ)が誕生する。しかしそれは善悪もわからない、力を持て余したモンスターだった。やがてモンスターは助手達を殺して脱走、村の幼い少女を死なせてしまい、怒った村人達に風車小屋に追いつめられる。村人と共に追ってきた博士を風車から投げ落としたモンスターは、村人達の放った炎の中に姿を消すのだった。
冒頭の墓場のシーンに始まり、重厚な雰囲気の漂う古城の実験室でのモンスターの誕生、湖の岸辺でのモンスターと幼い少女の出会い、燃え上がる風車など、ひとつひとつのシーンが実に素晴らしく、ユニバーサル・ホラーの魅力を現在まで伝える歴史的な傑作だ。
有名なモンスターのメイクはジャック・ピアースが担当。平らな頭、首のボトルなどフランケンシュタインのモンスターと言ったらまずこの顔が思い浮かぶが、ユニバーサルはこのメイクを特許登録しており、他の映画会社では使えないことになっている。
この映画のヒットを受けて、35年には同じジェームス・ホウェール監督で続編『フランケンシュタインの花嫁』を製作。その後も『フランケンシュタインの復活』『フランケンシュタインの幽霊』と続き(カーロフがモンスターを演じたのは3作目まで)、その後は狼男やドラキュラとの共演作が3作あり、最後は『凸凹フランケンシュタインの巻』でコメディーにまで登場するが、そのどれもがホラー・ファンにとっては珠玉の名品となっている。
名門ハマーが贈る吸血鬼映画決定版 ドラキュラの恐怖と魅力の全てがここに
吸血鬼ドラキュラ
イギリス、ハマー・プロダクション 1958
監督:テレンス・フィッシャー/製作:アンソニー・ハインズ/原作:ブラム・ストーカー/脚本:ジミー・サングスター/美術:バーナード・ロビンソン
出演:クリストファー・リー、ピーター・カッシング、マイケル・ガフ、メリッサ・ストリブリン、キャロル・マーシュ
イギリスの映画会社ハマー・プロダクションは1950年代から70年代にかけて、数々の質の高いホラー映画を世に送り、ホラーの名門として世界中のファンの人気を集めていた。
ハマー・プロ自体の歴史は古く、小規模映画会社として、3O年代からサスペンスやSF映画を製作しており、本格的なホラー映画を手掛けたのは1957年の『フランケンシュタインの逆襲』から。戦前のユニバーサルのモンスター・ムービーをカラーで復活させようという意図だったらしい。そして続いて翌年に作られたのがこの『吸血鬼ドラキュラ』だ。
ドラキュラ役には『フランケンシュタインの逆襲』でモンスターを演じたクリストファー・リーが抜擢され、宿敵ヴァン・ヘルシング博士に同じくフランケンシュタイン博士を演じたピーター・カッシングが起用された。この二人の起用が、この映画を大成功へと導いたのは間違いない。リーのドラキュラ伯爵は、貴族的な品格と残虐な野獣性を併せ持ち、完璧なまでのドラキュラ像を作り上げた。この後、リーは押しも押されぬドラキュラ役者として君臨することになる。また、カッシングの演じる偏執的なまでに一徹なヘルシング博士も、強い存在感を放つ当たり役だ。
物語はドラキュラ伯爵(リー)の住む古びた城から始まる。吸血鬼退治を決意して城を訪れたジョナサン・ハーカーは、逆にドラキュラ伯爵の手に落ちる。同僚のヘルシング博士(カッシング)は、ハーカーの死を彼の許嫁であるルーシー(マーシュ)の兄アーサー(ガフ)に伝えるが、既にルーシーは街に移ったドラキュラの毒牙にかかっていた。ヘルシングの努力も虚しく、ルーシーは死に、吸血鬼となって蘇る。それを知ったヘルシングはその魂を開放するため、彼女の胸に杭を打ちこむ。さらにはアーサーの妻ミーナ(ストリブリン)までがドラキュラに襲われ、城へと連れ去られてしまう。それを追って馬車を走らせるヘルシングとアーサー。ついにドラキュラ城での決戦の時を迎えるのだった。
当時としてはショッキングだった吸血シーンや、女吸血鬼の胸に杭を打ち込むシーンなど、それまでにない直接的な描写やアクションが、この映画を際立たせたと言われている。しかしそれだけではなく、きめの細かい人物描写やテンポのよい演出、雰囲気のある映像など、映画としてトータルな完成度も高く、今なお、吸血鬼映画の最高峰として多くの人に愛されている名作だ。
その後、リーのドラキュラ映画はシリーズ化され『凶人ドラキュラ』『帰ってきたドラキュラ』『ドラキュラ血の味』『ドラキュラ復活/血のエクソシズム』『ドラキュラ'72』『新ドラキュラ悪魔の儀式』まで全7作が作られた。
怪談映画の極め付き!げに凄まじきはお岩の怨念、一生忘れぬ恐ろしさ
東海道四谷怪談
監督:中川信夫/製作:大蔵貢/原作:鶴屋南北/脚本:大貫正義、石川義寛/
撮影:西本正/美術:黒沢治安/音楽:渡辺宙明
出演:天知茂、若杉嘉津子、江見俊太郎、北沢典子、池内淳子、大友純
日本人にとって、怪談映画というのは、ほんとうに怖い。外国のモンスターやオカルト物はダーク・ファンタジーとして楽しめるが、怪談は私たち日本人には現実的な恐怖なのだから。
怪談の中でも最も多く繰り返し映画化されているのが「四谷怪談」であり、その中でも最高傑作と言われているのが、この名匠中川信夫監督の『東海道四谷怪談』だ。新東宝という弱小会社のプログラム・ピクチャーでありながら、登場人物を際立たせた脚本、スピーティな場面展開、歌舞伎的な様式美を感じさせる美術や音楽と、スタッフの並々ならない気合が細部に至るまでみなぎっている。
江戸の貧乏長屋に住む浪人、民谷伊右衛門(天知茂)と病弱な妻、お岩(若杉嘉津子)。実は伊右衛門はお岩の父親を殺害した下手人だったがお岩はそれを知らない。裕福な武士伊藤喜兵衛の娘お梅(池内淳子)を助けた伊右衛門は、お梅にみそめられ伊藤家の婿にと望まれる。小悪党の直助(江見俊太郎)が間に入って画策し、婿入りのじゃまになるお岩を毒薬で殺すよう伊右衛門をそそのかす。毒を飲まされ醜く顔の爛れたお岩は、伊右衛門への恨みを抱きながら絶命。伊右衛門と直助は、経緯を知る按摩の宅悦(大友純)をも殺し、お岩と宅悦の死骸を板戸の両側にくくりつけて川に流す。それはお岩の亡霊の凄まじき怨念の始まりだった。
お岩殺しの場面の、おぞましさと哀れさの入り交じった緊迫感。有名な隠亡堀(おんぼうぼり)戸板返しの場面の、夢でうなされそうな不気味さ。大詰めの寺の場面のシュールで大胆な様式美。全編にわたって、中川信夫監督の演出が見事なばかりに冴えまくる。
深い陰影をたたえた現代的な伊右衛門を鮮やかに演じきる天知茂。伊右衛門を悪の深みに誘い込む小悪党の直助に、主役と並ぶほどの存在感を与えた江見俊太郎。屈折した悪を演じる、この二人の個性的な役者の魅力も忘れられない。
映画として語るべき点は尽きないが、怪談映画としての怖さもかなりのものだ。筆者は子供の頃にこの映画を観たのだが、その恐ろしさはいまだにトラウマになっている。この映画には、お岩の亡霊が出る場面など、蚊帳が効果的に用いられるシーンが多くあり映画を見てしばらくは、蚊帳を見ただけで怖くてたまらなかった。いずれにしろ、これは間違いなく、日本が世界のホラー映画史に誇る大傑作だ。
飛び散る血潮!引きちぎられる内臓!ゴアの帝王H・G・ルイス降臨!
血の祝祭日
アメリカ 1963 カラー
監督・撮影・音楽・特殊効果:ハーシェル・ゴードン・ルイス/製作:デビッド・フリードマン/脚本:アリソン・ルイーズ・ドーン
出演:トーマス・ウッド、コニー・メイソン、マル・アーノルド
スプラッター映画の元祖にしてゴアの帝王ハーシェル・ゴードン・ルイスの記念すべきゴア映画第一作。ハーシェル・G・ルイスはデビッド・フリードマンと共に、ドライブイン・シアター向けの低予算映画を製作していた。主にヌーディー・ムービーと呼ばれる裸の出てくる映画を作っていたのだが、次に“ハリウッドが作らず安くできて儲かるもの”として、彼等が思いついたのが、ゴア・ムービー=血まみれ映画だったのだ。(ルイスは自分の映画を「スプラッター」ではなく、「ゴアGore」と呼んでいる)
その最初の作品となった『血の祝祭日』は、マイアミで6〜10日間で撮影された。ヒロインにはその年の「プレイボーイ」のプレイメイト・オブ・ジ・イヤーとなったコニー・メイスンを起用。ゴア・シーン用に大量の血糊や動物(主に羊)の内臓、葬儀屋が死体の修復に使う蝋などが使われた。
ストーリーは、ドラッグストアを営むエジプト人ラムゼス(アーノルド)が、古代エジプトの女神イシターを蘇らせる儀式を行うために、町の女達を次々と殺していくというもの。その事件を追う刑事(ウッド)と、誕生パーティーの特別料理をラムゼスに注文して、最後に命を狙われるスゼット(メイスン)の二人を中心に話は進むのだが、映画の見どころは何といっても一つ一つの殺戮シーンだ。ラムゼスは殺した女達の体の一部や内臓を食材として、女神イシターに捧げる晩餐を作る。そのために、目玉をくり抜き、脳みそを取り出し、手足を切断し、血を搾り取るといった、文字通りの血まみれシーンがくりひろげられるのだ。
初めてルイスの映画を見た時には、何の変哲もないカメラアングル、素人丸出しの演技、単純そのものの音楽…と、そのあまりにも安っぽい世界に唖然としたものだが、次第にそこに計り知れない魅力を感じ、引きずり込まれていく。ルイスには、人間の精神のコアな部分を生でつかみとるような、特別な才能があるように思う。ゴア・シーンの特殊効果も、原始的でストレートなだけに逆に生々しい迫力を持つ。ある種の美しさ、陶酔感すら感じる程だ。
『血の祝祭日』はイリノイ州のドライブイン・シアター「ベルエア・シアター」で封切られ、多くの観客を集めて興行的な成功を収める。これに気を良くしたルイスは、続けて『2000人の狂人』『カラー・ミー・ブラッド・レッド』『悪魔のかつら屋』『血の魔術師』『ゴア・ゴア・ガールズ』と、ゴア・ムービーを次々と撮り続け、スプラッター・ムービーの元祖として後の世に語り継がれることになるのだった。
(ハーシェル・G・ルイスについては「ホラー映画のB級哲学」第一回を参照)
襲い来るゾンビの群れ!明日なき極限の闘い!未体験の恐怖
ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド
アメリカ 1968 白黒
監督・撮影・編集:ジョージ・A・ロメロ/製作:ラッセル・ストライナー、カール・ハードマン/脚本:ジョージ・A・ロメロ、ジョン・A・ルッソ
出演:ドゥエイン・ジョーンズ、ジュディス・オディ、カール・ハードマン、マリリン・イーストマン、キース・ウェイン、ジュディス・リドレイ
ジョージ・A・ロメロの監督第一作『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』はモダン・ゾンビ映画を創造したばかりでなく、モダン・ホラーというホラー映画の新しい次元を切り開いた記念碑的な傑作だ。
もともとゾンビとはカリブ海の島国ハイチで信仰されるブードゥー教に由来し、人を呪術によって生ける屍=ゾンビにしてあやつるというものだった。1932年の『ホワイト・ゾンビ』以来、ヴードゥー・ゾンビは繰り返しスクリーンに登場している。ロメロはこの『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』で、ヴードゥー教と離れた、即物的な全く新しいゾンビ像を作り上げたのだった。ゾンビは人間を襲ってその肉を喰う、ゾンビに噛まれた人間はゾンビになってしまう、ゾンビを倒すためには頭を破壊しなければならない、とった現在ではおなじみとなっているゾンビの特徴の大部分は、この映画によって確立された。(ただし、この映画ではゾンビという言葉は使われていない。)
映画のほとんどの場面は、郊外にポツンと立つ一軒家が舞台となる。墓参りに来てゾンビに襲われ兄を殺されたバーバラ(オディ)、行動的な黒人のベン(ドゥエイン)、ケガをした娘を連れたクーパー夫妻(ハードマン&イーストマン)、トム(ウェイン)とジュディ(リドレイ)の若いカップルの7人がこの一軒家に逃げ込み、襲い来る蘇った死者達と絶望的な闘いの一夜をすごすことになる。極限状況の中では、英雄的行動も、家族の絆も、恋人達の愛も全てが無に帰していく。仲間割れも起こり、一人また一人と死者達の餌食になっていくのだ。全編息詰まる様な緊迫感に満ち、モノクロの映像がリアリティを強めて、底知れない恐怖感が広がっていく。
このエポック・メイキングな映画は、ピッツバーグでデレビやCMのフィルムを作っていたラテント・イメージ社を中心に、10人のメンバーが一人 600ドルづつ出資してスタートした。イメージ・テンと名付けられたこのプロダクションは、ロメロを監督に立て、ロメロが以前書き下ろした短編をもとに、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』を約7ヵ月の撮影で完成させる。ドライブイン・シアターで公開され多くの観客集めるが、そのカニバリズムを含む強烈な描写は、殆どのメディアから酷評された。
この映画が史上最も優れたホラー映画のひとつとして評価されるのは、イギリスやフランスでの反響がアメリカに逆輸入された1970年以降のことだ。そして、この映画の背景に、ベトナム戦争や人種差別の問題など、当時のアメリカ社会の抱える暗い影が色濃く漂っていることが論評されることになる。
ロメロはこの後、先に触れた短編を発展させて、ゾンビ三部作と呼ばれる『DAWN OF THE DEAD ゾンビ』(1979)、『DAY OF THE DEAD 死霊のえじき』(1985)を完成させ、文字通りキング・オブ・ゾンビの地位を揺るぎないものにしている。
1990年には、ロメロの脚本、トム・サビーニの監督で『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世記』として、カラーでリメイクされた。なお、現在「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド最終版」と称して、1968年のオリジナル版にいくつかのシーンを撮り足し、音楽と編集を改変したビデオがリリースされているが、オリジナルの緊迫感が見事なほどにぶち壊され、まったく別の映画になってしまっている。あれほどの傑作が、マヌケな手が加わるとここまで変わるものかと驚きモノだ。絶対に見ないほうがいい。
唸るチェインソー! 狂気の殺人一家! モダン・ホラーの最高峰
悪魔のいけにえ
アメリカ 1974 カラー
監督・製作:トビー・フーパー/脚本:キム・ヘンケル、トビー・フーパー
音楽:トビー・フーパー、ウェイン・ベル
出演:マリリン・バーンズ、ジム・シードウ、ガンナー・ハンセン、エドウィン・ニール
モダン・ホラーの最高傑作と言い切ってしまおう。唸るチェインソーを振り回しながら夜の闇を疾走するレザーフェイスの姿は、この映画の持つダイナミズムそのものだ。
テキサスの田舎をドライブする5人の若者。彼らは、サリー(バーンズ)とその車椅子の弟フランクリンが子供の頃住んでいた廃屋を訪ねてきたのだった。しかし彼等の前には、悪夢のような運命が待っていた。途中で異常なヒッチハイカー(ニール)に出会いながらも、ようやく廃屋にたどりつくが、その近くに建つ一軒家こそが、狂気の殺人一家の住む家だったのだ。
この映画では、恐怖は突然襲ってくる。ホラー映画の常套的な手法である「出るか出るか」とじらして怖がらせる思わせぶりは一切ない。パワフルな殺人者レザーフェイス(ハンセン)の登場シーンも唐突だ。一軒家を見つけた若者の一人が、声をかけながら家の中に入っていくと、突然、人間の皮で作ったマスクをつけた大男が現れ、屠殺用ハンマーの一撃で若者を撲殺する。倒れた若者は部屋に引きずり込まれ、金属の重い扉がガシャン!と閉まる。一瞬の出来事に衝撃が走る。
また意外なことに、この映画では血が飛び散るようなスプラッター・シーンや、殺人の直接的な描写はほとんどない。しかし、レザーフェイスが捕まえた娘を、生きたまま食肉用の鉤爪に刺しつるすシーンや、車椅子のフランクリンをチェインソーで切り刻むシーンなど、そのダイナミックな映像からは痛みと恐怖がストレートに伝わってくる。
監督のトビー・フーパーは、これまでドキュメンタリー映画などを撮っていたというが、その余分な感情を排した乾いた描写が、この映画を実にリアルなものにしている。そしてまた、ベトナム戦争当時の荒廃したアメリカの社会が、その背景に鮮やかに浮かび上がってくるのだ。
また殺人一家のキャラクター設定が巧みで、その突き抜けた狂気は、ある種の魅力すら生み出している。大男のレザーフェイスは何も考えず、ただひたすら暴力にひた走る。その兄弟であるヒッチハイカーは、墓荒らしが趣味という猟奇的な異常者。ひなびたガソリンスタンドを営む彼等の父親(シードウ)は、一見、人の良さそうな笑顔が逆にコワイ。そして、彼等にも増して尋常ではないのが、生きたミイラのような祖父だ。家の中には、死体の皮や骨で作った家具が乱雑に置かれ、異様な雰囲気をかもしだす。これは実在の猟奇殺人者エド・ゲインの事件を参考にしている。(よく『悪魔のいけには』はエド・ゲイン事件をモデルにしたと言われるが実際には共通しているのはここだけ)
一点の緩みもないハイ・テンションのパワーが、恐怖を突き抜けて高揚感すら感じさせる『悪魔のいけにえ』は、ホラーというジャンルを越えた映画史上の傑作と言ってまちがいないだろう。
トビー・フーパーはこの後ハリウッドに迎えられ、ホラー・メーカーの第一人者として活躍を続ける。12年後の1986年には『悪魔のいけにえ2』を監督、作品の色合いは違ってはいるものの、一作目の殺人一家がパワーアップして再登場し、ファンを狂喜させた。
ギーガーの生み出す悪夢的イメージが誘う絶対の恐怖!SFホラーの金字塔
エイリアン
アメリカ 1979 カラー
監督:リドリー・スコット/製作:ゴードン・キャロル、デイビッド・ガイラー、ウォルター・ヒル/製作総指揮:ロナルド・シャセット/脚本:ダン・オバノン/音楽:ジェリー・ゴールドスミス/エイリアン・デザイン:H.R.ギーガー
出演:シガーニー・ウィーバー、トム・スケリット、ジョン・ハート、ベロニカ・カートライト、ハリー・ディーン・スタントン、イアン・ホルム、ヤフェット・コットー
改めて言うまでもない、SFホラー映画史上の大傑作『エイリアン』。後に『ブレードランナー』や『ブラックレイン』などの名作を次々と生み出す名匠リドリー・スコット(これが監督第二作目)、『バタリアン』で監督としての才能も開花させる脚本のダン・オバノン、そしてその見たことがない異様なイマジネーションでセンセーションを巻き起こした異端の画家H.R.ギーガー、等々、多くの並外れた才能が結集して創り上げたこの映画は、SF映画の歴史に革命的とも言えるインパクトを与えた。
7人の乗組員を乗せて地球に向かう宇宙貨物船ノストロモ号は、無人の惑星から謎の信号が発せられているのをキャッチする。探査船でその星に降りた乗組員が見たものは異様な姿をした異星人の宇宙船だった。コックピットには化石化した巨大な異星人が…。不思議な卵状の物体を見つけたケイン(ハート)は、その中から飛び出した節足動物のような生物に顔面を覆われてしまう。
映画の前半で、まず見る者の目を奪うのは、ギーガーの生み出した異星人の宇宙船の何とも異様な形態と質感だ。スイス生まれの画家H.R.ギーガーは、怪奇作家ラブクラフトのクトゥルー神話に傾倒し「ネクロノミコン」などの作品を発表しているが、その悪魔主義的とすらいえる強烈なイマジネーションが、これまで全くなかった映像体験を創りあげた。生物器官と機械が融合したかのような無機的で、かつ官能的なイメージ。特に、コックピットの中の化石化した異星人の姿には、筆者も、世界観が変わる程の衝撃を受けた。
ノストロモ号に戻った乗組員。ケインの顔に張りついた生物は、ようやく剥がれて死に、一安心した7人はケインを囲んで食事をする。が、突然苦しみだすケイン。その胸を突き破って、牙をむいたエイリアンの幼体が出現。短時間で強靱な成体に成長したエイリアンは、乗員達を一人、また一人と餌食としていくのだった。
宇宙船という閉ざされた空間の中、どこから襲ってくるかわからない、そして倒す手だてのない敵と闘わなくてならない乗員達の追い詰められた緊迫感が、痛いほどに伝わってくる。エイリアンはその凶悪な姿を瞬間的に見せるだけで、ラストまで全身は現さない。映画「エイリアン」の恐怖は、どこから何が襲ってくるかわからない、見えない恐怖、あるいは内側からの恐怖と言っていいだろう。それを最も象徴的に表しているのが、ケインの体内からエイリアンの幼体が出現するシーンだ。また、科学者のアッシュ(ホルム)という謎の多い人物も、内なる恐怖を体現している。
この映画が、SF及びホラー映画全体に与えた影響は計り知れない。中でも、最後に生き残ってエイリアンと闘うのが女性のリプリー(ウィーバー)だというのは、この当時としては画期的で、新鮮な驚きを与えた。これ以外にも「エイリアン」によって初めてもたらされた要素は多く、これ以降のSFホラー映画で「エイリアン」の影響を受けていないものはないと言ってもいい位だ。
「エイリアン」はシリーズ化され、現在パート4まで作られているが、2以降はSFアクション映画としての色合いが強くなり、ホラーという範疇で取り上げる作品ではなくなっている。
(蛇足だが、アッシュがリプリーを襲うシーンで、リプリーの口の中に突っ込む雑誌はよく見ると、山口百恵が表紙の「平凡パンチ」のようだ。こんな未来の宇宙に、なぜ百恵ちゃんが…)
イタリア猟奇ホラーの王ルチオ・フルチの真骨頂。エログロゾンビの大襲来
サンゲリア
イタリア 1979 カラー
監督:ルチオ・フルチ/製作:ウーゴ・トゥッチ、ファブリッツィオ・デ・アンジェリス/脚本:エリザ・ブリガンティ、ダルダノ・サケッティ/特殊効果:ジアネット・デ・ロッシ
出演:ティサ・ファーロー、イアン・マッカロック、リチャード・ジョンソン、アウレッタ・ゲイ、アル・クリベール、オルガ・カルラトス
イタリアのホラー映画には、特徴的な二つの流れがある。ひとつはダリオ・アルジェントに代表されるような、スタイリッシュな美意識に貫かれたサスペンス。そしてもうひとつが、残虐ありグロありエロあり、何でもありの見せ物的な血まみれ映画だ。その代表がこのルチオ・フルチ。それまでサスペンスやマカロニ・ウェスタンで腕をふるっていたフルチが、この『サンゲリア』で大爆発、以後イタリア猟奇ホラーの帝王の座に君臨することになる。
イタリア映画の得意技の一つが、ヒットしたアメリカ映画の二番煎じ、三番煎じを臆面もなく量産すること。
この『サンゲリア』もイタリアでの原題は「ZOMBIE2」といい、「ZOMBIE」のタイトルでイタリア公開されたジョージ・ロメロの「DAWN OF THE DEAD(ゾンビ)」の続編かのようにして公開された。しかし、フルチ自身は、この映画はロメロの『ゾンビ』に影響されたわけではなく、ゾンビはそもそもブードゥー教に由来するものだと言っている。確かに、『サンゲリア』のゾンビは、カリブ海の小島を舞台にブードゥーによって蘇ったとされる。だが、頭を撃たれると死ぬ、ゾンビに噛まれるとゾンビになる、といった特徴は、まったくのロメロ・タイプだ。まあ、そんな詮索はともかく、この映画がロメロの『ゾンビ』と並ぶ、魅力的なゾンビ映画の傑作であることは間違いない。
物語の舞台はカリブに浮かぶ小島、マツール島。島に渡ったまま消息のない父親を探すアン(ファーロー)と新聞記者ピーター(マッカロック)が、途中で知り合ったクルージングを楽しむ夫婦のボートに同乗して、この島にやってくる。しかしマツール島では、死者が蘇り人を襲うという奇病が蔓延し、メナード医師(ジョンソン)が一人、この奇病を研究していた。島の人々はこれはブードゥーの呪いだと言う。島に響く不気味なドラム。ついに、墓場からも数知れぬ死者が蘇り、メナード達を襲ってきた。
フルチの映画には、見せ場がこれでもか、これでもかとばかりに続く。水中ゾンビとジョーズ(鮫)の決闘、木片に刺し貫かれる眼球、墓場から這いだすウジだらけの腐乱ゾンビの群れ、そして意味のないヌード・シーンまで、ひとつひとつのシーンが強烈な魅力を放って、我々ゾンビ・ファンの心を奪うのだ。そして、ラストシーン、ニューヨークのブルックリン大橋を静かに進むゾンビの群れは、ゾンビ映画史上最も壮大で美しいシーンだろう。
バスケットの中身はナーニ?シャム双生児の運命を描く傑作カルト・ホラー
バスケットケース
アメリカ 1982
監督・脚本:フランク・ヘネンロッター/製作:エドガー・レヴィンス/特殊効果:ケビン・ヘニー、ジョン・カリョーネ・ジュニア
出演:ケヴィン・ヴァン・ヘンデリック、テリー・スーザン・スミス、ビバリー・ボナー、ロバート・ヴォーゲル、ダイアナ・ブラウン
ニューヨークのミッドナイト・シアターでロングランを続け、ホラーファンのみならず多くの映画ファンの心を捉えたカルト・ムービー。監督のヘネンロッターは本業は広告代理店のグラフィック・デザイナーだったが、少年時代から熱烈なB級映画マニアで、その映画への強い愛着がこの作品に結実している。
ニューヨークの安ホテルに、大きなバスケットケースを持った若者ドゥエイン(ヴァン・ヘンデリック)がやってくる。実はそのバスケットの中には、彼のシャム双生児の兄弟ベリアルが入っていた。彼等は、ドゥエインの横腹に、顔と手だけのベリアルがくっついたシャム双生児として生まれてきた。化け物のようなベリアルを嫌った父親の依頼によって、三人の医者が彼等を切り離す手術を行うが、生命力の強いベリアルは生き延びて、父親を殺害する。やさしい叔母に育てられ成人した二人は、彼等を切り離してベリアルを抹殺しようとした医者達に復讐するために、ニューヨークにやってきたのだ。
彼等は一人づつ復讐を遂げていくが、ドゥエインにガールフレンドができたことから、恐ろしくも哀しい破局が彼等におとずれるのだった。
現代の寓話といったこの物語には、何が正常で何が異常なのかという深いテーマがその底に流れている。その作家性の強さからも、これはB級ホラーの体裁をとったインディーズ・ムービーと言った方がいいだろう。ロケを生かした安ホテルの人間模様の活き活きとした描写も、チープなベリアルの特殊撮影も、低予算のインディーズ・ムービーならではの魅力を最大限に発揮している。
正常と異常の相剋というテーマは、8年後に作られた続編「バスケットケース2」(1990) 「バスケットケース3」(1991) でより明確になる。2からはフリークス達の味方、戦闘的なルースおばさん(アニー・ロス)が登場。ドゥエインとベリアルも彼女の家で暮らすことになる。そこには多くの異様な姿をしたフリークスがかくまわれており、その中には、ベリアルと同タイプのフリークス、イブもいた。ベリアルとイブは結ばれ、パート3では1ダースもの子供がゾロゾロと産まれるのだ。
フリークス達の姿はグロテスクというよりコミカルで笑いをさそうが、フリークス対ノーマルの対立は次第に鮮明になっていく。その中で、フリークスでもない、かと言ってノーマルの側にもなれないドゥエインの立場は微妙だ。正常と異常の対立こそがホラー映画を成り立たせる基本だとしたら、正常と異常の境界を不確実なものにする「バスケットケース」は、ホラー映画の本質的な部分について問いかけるものと言える。ノーマルよりもアブノーマルに魅かれる我々ホラーファンにとって、ドゥエインの葛藤はけして他人事ではなく、ドゥエインとベリアルの運命に深いシンパシーを感じずにはいないのだ。