Folio Vol.10目次など

ヨークシャテリアが氾濫

朝倉海人

 タイマーをセットしていたテレビがひとりでに話し始める。
 朝の報道番組が画面に映し出される。
「昨日未明に起きました……」
 脳の奥底が未だに眠っているが、アナウンサーの言葉は耳に入ってきた。
「……ヨークシャテリアの反乱は、米国の介入により鎮圧されました。尚、厳戒態勢の解除を発表した首相は、その記者会見の場にてヨークシャテリア及び煽動に荷担していた者、数名を拘束したことを発表しました。また、報道に対し、不確かな情報は虚報にも劣るものだ、と厳しく批判しました」
 徐々に起き始めた脳が言語を認識していく。あぁ、昨日のあの話か、確か不法入国した外国人――国際的に指名手配にされているとの話だった――が、日本で騒動の煽動をしているのだという話だった。報道が先行してしまい、犬の反乱だと多くの人は思い、大変な混乱が起きたのだ、と納得し寝床から抜け出した。

 朝が来るのが苦痛で仕方ない。特に月曜日の朝ともなると、そのことを考えただけで頭が痛くなっていく。
「社会人としての自覚が足りない」
「大人にもなって出社拒否というのもねぇ」
 などと上司たちに言われたことを思い出す。理解を示してくれた同僚たちもそれは表面上だけで、すっと視線が外れていくのがわかる。
 吐き気が襲ってきたが、必死に自分を騙した。
 いつも吐き気がピークになるのは、通勤のために乗車する駅に行く途中だった。月曜は特に酷い。
 同じようにスーツを着た人々が駅を目指して歩いていく。あまり色彩豊かな光景とは言えない。昨日はヨークシャテリアの反乱のおかげで出社するのに手間取った。結局、会社からは自宅待機を伝えられ、火曜日の今日が私にとっての月曜日というわけだ。
 滑り込んできた電車に大勢の人間が乗り込んだ。もう十分早く家を出られればいいのだろうが、中々出来ないのが私の意志の弱さだ。

 オフィス街と呼ばれているのは、街にとってどのような気分なのだろうか。人が住むのを街というのなら、ここは果たして街なのだろうか。
 あちらこちらにゴミが転がっていた。昨日の騒ぎの影響だろうか。段ボールやガラスの破片、何かの看板、時折街路樹が横倒しになっていた。それらを黙殺して目的地に向かう。「現代人」なのか。ただ能力麻痺になっただけなのか。
 朝の挨拶をするのすら、最早億劫だった。会社に自分のデスクはあるが、自分の居場所があるとは思えなかった。
 デスクの上に置かれたメモ用紙を見る。居なかった時にかかってきた連絡や上にあげていた書類が返却されているのに目を通すのが、一日の始まりだった。
 そうしているうちに始業の時間になる。
「あぁ、そういえばさ」
 私の隣のデスクにいる同僚に話しかけた。同期と言うこともあってか、比較的仲の良い関係だった。昨日の話をしようと思ったのだ。私語はあまり歓迎されていないのだが、昨日の騒動のおかげでスケジュールが狂ったため、打ち合わせも目的だった。
「昨日の反乱のおかげで大変だったよな」
 書類から目を離し、隣に視線を向けた。
 そこには比較的仲の良い同僚はおらず、一体の機械がいただけだった。私は、何度か確認した。隣のデスクは、比較的仲の良い同僚の森永さんがいるはずだ。しかし、実際にはどう考えても森永さんではない物体がそこにはいた。
「えぇっと、あの、その」
 と、まごついていると、上司がデスクまでやってきた。
「あぁ、森永君とは連絡が取れなくてね。この際、ロボットを一台試験的に導入したんだよ。どうせ、事務処理の仕事だけなのだから、彼らに任せていた方が能率も良いし、何せ正確だからね。今後は徐々に増やしていくつもりだから、君も負けないように頑張れよ」
 用件が済むと、上司は立ち去っていった。あぁ、そうか私たちの仕事はそんなものなのか……。切なさはなかった。ただ、脱力感だけが体中に広がった。平社員は使い捨ての駒と一緒だ、ということを直接言われた感じだと言えばいいだろうか。

 翌日も、僅かな吐き気と頭痛を抱え出社した。休みたかったが、休めば私のデスクにもあの機械が座ることになるかと思うと、意地でも出社しなければならなかった。
 次の日もそのまた次の日も同じように通った。
 週も終わりの金曜日、いつものようにデスクに座ろうとすると、何か違和感を覚えた。
 じっくりと、辺りを見回してみる。やはり、何かがおかしい。明らかに、人間の数が減っているのだ。それに伴い、機械の数が増えている。あの席にいたはずの山下さんもあそこにいたはずの大橋さんも機械になっていた。あの人たちは、少なくとも私より仕事ができたはずなのに、機械になっているのだ。一体、上司たちの判断基準は何なんだろうか。それに、試験期間がこれほどまでに短くていいのだろうか。上司に抗議すべきじゃないか。私はそう思った。確かに抗議することによって、私は来週にはこの場には居なくなり、替わりの機械が仕事に励んでいることになるのかもしれない。だが、このような環境の中で、自分を押し殺してまで働く意味があるのだろうか。機械と同列にされていることに怒りを覚えている自分がいた。機械に失礼な話かもしれない。
「課長」
 と、私は課長のデスクに向かいながら、言った。
 が、そこには課長は居なかった。
「ご用件をどうぞ」
 と、冷静な声でその機械は言った。課長も機械になったらしい。掌握管理事務は機械の方が、効率が良いということだろうか。しかし、課長が機械になってしまった今、誰がここを指揮統括しているのだろうか。まさか、この機械なのだろうか。それにしても、あの課長がこのような状況をよく受け入れたものだな……。
 ひとまず、デスクに座ったが、生きた心地はしなかった。隣の席では森永さんの替わりの機械が異常とも言える早さで仕事を処理している。私は、仕事をする気も失せた。私がしなくても他の機械達がやってくれるのだ。こうやって座っているだけでもいい。課長もいなくなったことだし。

 家に帰ると、郵便受けに封筒が入っていた。何か書類が入っているようで、持つとずっしりと重さが伝わった。部屋に入り、封筒を開けた。中には、思った通り冊子が一冊入っていた。
 ――あなたも変われる 生き方上手への道
 表紙にはそのように書かれていた。編集のところには、私の会社の名前があった。こんなこともしているのか、と中身をパラパラめくった。
 ――あなたも仕事を能率良く、そして正確にこなせるよう研修を受けましょう
 そう書かれている目次から、順に目を通していく。そこには仕事を時間内で処理することで、定時に帰ることができ、家庭も仕事も両立できるのだ、ということが書いてあった。そして、最後の章には、「そのためには、あなたもアクトロイドシステムを受けましょう」と書かれていた。
 なるほどな、と思ったわけではなかった。研修を受ける場所が書かれていたのが気になってしまっただけだ。
 素晴らしい未来があるとは考えられなかった。それは歌やドラマ、映画や本の中だけでのものだった。だが、誰もいなくなり自分だけがあの機械達に囲まれた中で生きていくのは苦痛以外の何物でもないことは想像できた。ただ、生きているだけになるのだろうか。だが、それは今と大して変わっていないような気もした。ヨークシャテリアの反乱というのは、実はこのシステムのことではないかと疑いたくなるのも人情というものではないだろうか。 fin

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朝倉海人
[comment]最近はイベントごとを開くことに夢中。オークション入札締め切り1分前のようなドキドキ感溢れる小説を書きたいこの頃。
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