かどわかしじゃない。母と娘です。
夏の日の夕方、買い物帰りでしょうか?手をつないで住宅地を歩く母子。
ちょうど僕の気分もそんな感じです。
上にあるぱそ子さんの記事にもありました通り、編集部を設けました。また役割分担や進行の流れを整理し、Folio内部を強化いたします。次回からは多少違った風に動くことになると思います。
一年を機に丁度いい機会でもありますし、多少物事を整理するにはいい機会でした。一年の間に変な癖が着いてしまった反省も込めて。
さて、あのような発言をしてお騒がせしたのは、ひとえに僕の力不足であります。プライベートで忙しかったというのもあるのですが、もっとできるはずだと思い、自らを狭い場所に狭い場所に追い込んでしまったような感じもします。あまりにあまりなぶち切れ方で、いろいろとご心配をおかけしてしまったことと思われます。申し訳ない。
ぱそ子さんの記事には省略されてますが、その後、編集用に用意した掲示板には、かなりのご意見が寄せられ、とてもありがたく頂戴いたしました。散々お叱りも受けました。ありがとうございました。
なにはともあれ、やればやるだけ間口や思いは深まってゆくような気がしております。
今後とも一層のご支援ご鞭撻の程をよろしくお願いいたします。
今回このような号外号を出したのは、これまで一旦脇に置いて見ないようにしていたものに、向き合うよい機会でした。もう一度最初に考えてた地点に戻って再び歩み始めることになるでしょう。ここからが本当の「旅」だと思います。そう、「旅」なのです。
「モノを作る」ということはどういうものなんだろうと考えると、作る過程はある部分その作者にとって「旅」なのではないか。その対象に没入し集中し、もがき苦しんでやっと抜けた場所というのは、なんだか以前と違った世界が目の前に開けているような気になります。
そんな気になるのは僕だけでしょうか?
インターネットとはなんでしょうか? サイトとはなんでしょうか? 頂いた創作物を「見せる」とはどういうことでしょうか? 僕にはまだ答えが見つかっていないように思います。まだ方法があるのではないか。もっと効果的に「見せる」方法はあるのではないか。
ある時期から(具体的に言えば、ブログの隆盛が始まった頃からですが)、これまでのサイト運営や閲覧者のインターネットに関する手触りや、アクセスしてゆく意識の感覚は変わりつつあると思います。
具体的に何がどう、とかこう、とかは言えないのですが。
ただ、これまでの運営では時代後れで、先を目指してゆくことを忘れてはいまいかという思いが、ずっとわだかまっていました。
ぶっちゃけ、提示した妄想にあてはありません。
だけど、模索してゆくこと、可能性を考えてゆくこと、続けてゆくことは怠るつもりはございません。ご心配なく。
幸いにも協力してくださる方の助けを得ることができました。次は期はこのかたがた達と共にやって参ります。(今回、実験的にブログを導入しました。こういうツールが不得手な僕にかわって徳保さんがあっと言う間に作って下さいました。他にいろいろと動いてくださいまして、本当に感謝しております。あと、他の編集室のメンバーにも多大な協力を頂いております。ありがとうございます。)
セッション。モノを作ってゆくセッション。
そして旅。
僕がやってゆきたいのは、きっとそういうものなんだろうとおもいます。一期一会かもわかりません。長い年月共闘する仲間なのかも知れません。なんだっていい。このライブセッションが心の糧となりますよう、ただそれだけを求めて。。。いや、結果なんてどっちでもいいのかもしれません。
さあ、やってみよう、と動いてみる、そういう心意気を忘れないようにしてゆきたいと思います。
今回、編集部を作ってからの期間、内部でかなりの議論や意見のすり合わせやいろいろ討論を行ってきました。その一部を、メッセによる対談という形で公開いたします。具体的な事項から果ては空想のたぐいまで。夢と妄想にまみれた、提案にもなっていない曖昧模糊としたまま喋ってる部分もあります。まだ明確な方向性の構築には至っておりません。でも、きっと徐々に道は開けてくると思います。
さてどうなることやら。今後の推移も併せて面白がってくだされば幸いに存じます。
これからもさまざまな方々とセッションをし、模索しつづけます。
どうか長い目でみてやってください。できればご協力してください。
七転八倒する様をにやにや笑いながら見てくれてもかまいません。
よろしくお願いいたします。
ではでは。
テーマは「見る」です。
発行は10月の終わりごろになると思います。詳細は期日に近くなりましたら、発表できるかと思いますので、しばらく時間は開きますが、新生Folioをお待ちください。
乱筆失礼
2004年8月10日
サイキカツミ