盂蘭盆ブックマーク
オカヤマ 


 中学生の時、世界の宗教分布を色分けした地図で日本の色を見てみると、「大乗仏教」と「自然崇拝」の二色が縞模様になっていて違和感を覚えたことがある。大乗仏教はともかく自然崇拝とはなんぞや?と。今にして思えばそれは神道のことだったのだと合点がいくし、それから数年後の中学社会地図ではご丁寧にも「神道」という色分けを作って、それでもやはりストライプの日本列島が描かれていたのを確かめた。現行の中学社会地図ではどのようになっているのか知らないが、たぶん似たようなものではないかと思う。正月には神道でいくし、お盆や葬式には仏法でいく、それが大方の日本人だ。宗教の使い分けに理由らしい理由はない。習慣、さもなくば気分、というしかない。

 お盆とは「盂蘭盆」の略語、サンスクリット語で逆さまに吊すという意味の「ウランバナ」が音訳されたものといわれている。亡き母が餓鬼道に堕ち、逆さ吊りにされて苦しんでいるのを知った目連尊者が、師匠の釈迦に母を救う術を尋ねたところ、七月十五日にご馳走を作って供養すべしと教えられたのがその由来だそうだ。

 だが一般の認識として「お盆」とは亡き人の成仏を願うというよりも、亡くなった肉親縁者がこの世に戻ってくる期間という意味合いの方が強い。

 かつて太陰暦を用いていた日本では七月十五日のお盆といえば盛夏の行事だった。しかし明治以降、太陽暦を用いるようになったため、暦の通りにすると初夏、しかも梅雨時ということになり、長年育まれてきたお盆のイメージと乖離することになる。そこで現在では実際の暦からひと月遅らせる「中暦」(もちろん便宜上の制度で、きちんとした暦ではない)の八月十五日を「月遅れのお盆」とする地域が多い。

 盛夏の候に死者が戻ってくるという信仰は仏教のものではない。基本的に仏教では、死者は死後四十九日が経つと地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間界、天界の六道いずれかに転生するといわれている。そして赴いたそれぞれの世界で修行を積み、あるいは罰を受けた後、また生まれ変わるという輪廻転生の思想があるからだ。死んだ人間が転生することもなく、また仏徒の究極目標である解脱を果たして輪廻転生の循環から逃れたわけでもなく、霊魂のまま毎年ふらふらと実家に戻ってくるということなど有り得ないはずなのだ。死者の里帰りは仏教伝来以前の祖霊信仰に属する思想だろう。だが外来思想である仏教はこの信仰を否定せず、偶然同じ時期に死者の成仏を願う「盂蘭盆」の会があるのをさいわいに、仏教行事の中に取り込んだと考えられる。

 死者が戻ってくることなど有り得ないのだ、と教理教義を尽くして説いたとしても、民衆が長年にわたって育んできた情緒、気分というものはそう簡単に変えられるものではないからだ。例外的に、信徒が死ねば皆、極楽浄土に往くと考えている浄土真宗では、いわゆる死者の里帰りである「お盆」の行事はないが、それでいてなお、お盆の時期になると法要を営むという。これは教義としては認めないが、習慣として黙認するという妥協点なのだろう。

 このように、気分という曖昧なもののために宗教行事を変容させていく日本人の感性は、一神教の厳しい思想を奉じてきた民族には理解に苦しむものかもしれない。だが宗教とは精神世界のものであり、精神世界の上っ面が波立つに合わせてその形も変わっていくというのは、確かに幼稚ではあるだろうが、しかし当然のことではないだろうか、と縞々模様の日本人は思ったりもする。自分たちがルーズなのは認めるとしても、だ。

 なお余談だが、戦前は月遅れの中暦八月十五日ではなく、旧式の太陰暦に合わせてお盆をおこなうところが多かったそうだ。だが戦後、たまたま八月十五日が終戦記念日となると月遅れのお盆が定着するようになった。八月十五日に亡き人を偲ぶという行事が人々の心情に相応しいものだったことは想像に難くない。
 これもまた、気分が宗教行事を変えた一つの例だろう。