なんともなあ扇情的なタイトル! ページをぱらぱらめくると頻繁に現れる「おちんちん」という言葉。ここまで聞いて、それのどこが乙女だよ! だなんて思う方々もおられるかもしれない。が、甘い。
表題作を読み終えたとき、あなたはすっかり「クリーム色の小さなフィルター」の中にいる自分に気付くに違いない。そう、そのフィルターの内部こそ、筆者の作り上げた乙女ワールドなんである(「 」内『バイブを買いに』所収「やっとお別れ」より)。
想像してみてほしい。
予定のない退屈な休日、テレビを眺めながらゴロゴロしているとする。そこに何年かぶりに学生時代の友人から電話が。うわあー久しぶりー元気ー? 最近どうよー? なんて、感激に打ち震えるあなた。
ところが電話の向こうの友人は弱々しい声で「悩みがあるの……」なんて言い出す。
ひどく心配になるあなた。「どうしたの?」思わず優しい言葉をかけてやると、彼女はおもむろに言うのである「彼氏の束縛がひどくって……」。
気づけばあなたは2時間もの間、旧友の愚痴だかのろけ話だかよくわからないものを聞かされるはめになっていたんである。 『バイブを買いに』は、要は、これだ。「いや、どうせ暇だったし、嬉しいんだけどさ。でも久しぶりの電話でのろけ話に2時間はちょっと……」な読後感なんである。
この短編集は淡々と穏やかな女性の一人称で話が進んでいく。これがまあ、どの話を読んでも同じようなキャラクターたちなので、「これは作者本人を思いっきり投影してるんだろうなあ」というのがよくわかる。
そしてその作者の分身が好きな彼への思いを、ふんわりと、だが執拗に、語っていくというパターンが基本である。
一部抜粋してみよう。
「わたしは、自分の男から言われたい。たくさんの女のなかで、一番特別だと。今までの女とは比べものにはならないと。きっとその時わたしは言うだろう。そうよ、知っているわ、ただそれだけを言う。あなたには、わたしは一番いいのよ。それはわかっていたと。」(「心から」より)
「奥さん、見たこともない奥さん、わたしはね、あなたにわたしのきれいな体を見せてあげたい。触りたいなら触らせてあげてもいい。わたしの体は、どんなに気持ちいいものか、奥さんに教えてあげてもいい。」
「うんと年上のたかちゃんの体、そしてたかちゃんの心は、わたしを特別扱いする。」(以上「やっとお別れ」より)
どうだろう! この傲慢さとアイデンティティの危うさ! これぞ乙女と言わずして、何を乙女と言う!?
ここに出てくる女性たちは、随分、自分と自分の体を誇っている。しかしそれはあくまで自分の男たちの言葉という不確かかつ閉鎖的なものに拠っていて、自分自身から溢れ出たものではない。
のろけ話とは、ここからである。カップルという閉鎖的な社会の中だけに通用する自信であり、自分ではない他者からの働きかけによってようやく湧き出る自信が、誰かの恋の話から垣間見えたとき、それは「のろけ」と呼ばれ、しばしば周りの人間の眉をしかめさせる。
が、しかし、そういう世間の冷たい風にめげることなく、それどころか気付こうともしないで、容姿端麗な人々ならともかく時には容姿に不自由している人間さえも恥ずかしげなく超個人的な出来事=のろけを他者にさらす力。
それこそが麗しき乙女力なのである。
この作品たちにおけるセックスやら恋愛やらが、あくまで作者固有のものであり、自分が経験から掴み取っていくものとは似て異なるものである、と、悟ることができたとき、少女は乙女からおばさんになっていくのかもしれない。
とにもかくにも乙女ポテンシャルが高い方だったら、この物語を憧れの象徴にするなり、自分に重ね合わせるなりで、かなり楽しめるのではないだろうか。
ああーん、恋って、セックスって、こんなにいいものなのね!
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