多くの読者には信じられないかも知れないが,その昔,ただ単に”ロールプレイングゲーム”と言えば,すなわち「D&Dみたいなテーブルゲーム」を指している,そんな時代があったのだ。

 その頃に,世間一般の人に「あなたは,ロールプレイングゲームを知っていますか」と尋ねてみたとしよう。きっと彼らは,ためらいなく,こう答えたに違いない。「何それ?」

 それから時は流れ,今では単にRPGと言えば「ドラクエみたいなコンピュータゲーム」を指すようになった。今,世間一般の人に「あなたは,ロールプレイングゲームを知っていますか」と尋ねたならば,きっと彼らはこう答えることだろう。「もちろん」

 そう,もちろん,彼らの念頭にあるのはコンピュータRPGなのだ。

**

 世間一般で単にロールプレイングゲームと言えば,すなわちコンピュータRPGを指すようになってしまったために,我々は本来のRPGの方に「テーブルトーク」「テーブルトップ」「卓上」「対人」「会話型」「非電源系」「アンプラグド」などという滑稽な接頭語を付けて,コンピュータRPGと区別するはめになった。

 ついには「米国では,テーブルトークRPGのことを,ペーパー・アンド・ペンシルズ・RPGと呼ぶんだ」なんていう話がまことしやかに囁かれ,そして我々は次のような馬鹿げたメールを書くことになる。

   拝啓,ゲームショップ通販担当者殿。
   私は日本のペーパー・アンド・ペンシルズ・ロール・プレイング・ゲーム・
   プレーヤーです。この度,そちらのペーパー・アンド・ペンシルズ・ロール
   ・プレイング・ゲーム・ウェブページにあるダンジョンズ・アンド・ドラゴ
   ンズ・ロール・プレイング・ゲーム3版ルールブックを注文したく・・・。

 そういうわけだから,世間一般の人にRPG,いやペーパー・アンド・ペンシルズ・テーブルトップ・何やらかんやら・ロール・プレイング・ゲームを紹介して,あわよくば引き込もうとすると,たいてい「どうしてコンピュータRPGをわざわざ人間同士でやるの?」という疑問をぶつけられることになる。なにしろRPGと聞けばコンピュータRPGのことしか脳裏に浮かばないから,こういう馬鹿げた質問が出てくるのだ・・・。

 いや,しかし,待ってくれよ。これは本当に馬鹿げた質問なのだろうか?

 肩をすくめて「もともとテーブルトークが本来のRPGで,コンピュータRPGの方がそこから派生してきたものなんですよ」と言えばそれで済むことだろうか?あるいは「人間同士でプレイする方が自由度が高いからだよ」などと答えればそれでよいのだろうか?

 よく考えてみると,どうもそうとは思えなくなってくる。

 なぜなら,この疑問の本質は「コンピュータRPGでは得られないテーブルトークRPG特有のメリット(楽しさ)とは何か」「それは,わざわざコンピュータを使用しないで手間暇かけて人間同士でプレイするに値するだけのメリットか」というところにあり,これだけコンピュータRPGが発達し普及した現在,これは至極もっともな疑問だと思えるからだ。これに対する説得力ある回答を示さない限り,世間一般の人がテーブルトークRPGに興味を持つことはないだろう。

**

 それなのに,上のような質問を受けたRPGプレーヤーの多く(特にベテラン)は,何の危機感もなく「やれやれ,無知な人には困ったものだな」と言わんばかりの態度で,やれ「本来のRPG」だの「高い自由度」だの「ストーリーの創造」だの「キャラクターの演技」だの,10年前と同じような答えを返すだけである。

 こういう回答を受けた世間一般の人が「そうか,なるほど。それは興味深いな。よし,私もひとつテーブルトークRPGというものを試してみようか」などと思うはずがない。なぜなら,彼らにとっては「本来のRPG」などというブランドは何の意味もないし,「自由度の高さ」「物語の創造」「キャラクタープレイの楽しさ」にしても,今日のコンピュータRPG(特にネットワークRPG)なら,ほぼ満足できるレベルに達しているからだ。(これについては後述する)

 要するに「テーブルトークRPG特有の楽しさ」「コンピュータRPGだけでなくテーブルトークRPGも試してみるだけの価値がある」という点に関して,テーブルトークRPGのファンが語る言葉は,テーブルトークRPGのファン以外の人に対して説得力を持ってないのである。

**

 これはまずい。非常にまずい状況だ。

 想像してみてほしい。ここに「コンピュータでもっと楽に早く楽しくできることを,わざわざ人手と時間をかけてやる」ことに熱中している人々のグループがあったとしよう。あなたは興味を持つ。なぜ,わざわざそんなことを楽しそうにやっているのか。

 ところがあなたが質問しても,メンバーの誰も「なぜ自分達がそんな面倒なことをわざわざやるのか,やる価値があるのか」に関してきちんとした説明が出来ない。それなのに,どうも彼らは,仲間うちでは「自分達の趣味は楽しい素晴らしい」という話を延々としているように見える。要するに,仲間うちでだけ通用する言葉や価値観でしか自分達の趣味を語ることが出来ないのだろう。まあ,物好きな,ちょっと変わった人が集まって閉鎖的/排他的なグループを作るのはよくあることだし。

 こうして,あなたは,彼らに対して軽い嫌悪感を抱くと共に,彼らのやっていることに対する興味を失ってしまう・・・。

 これが我々に対する世間の評価だ,というのは言い過ぎだろうか?

 そこまでは言わないとしても,いずれにせよ我々はもっと自分達の将来について危機感を持った方がよい。今はまだそれなりに人数がいるからよいが,このままずっとテーブルトークRPGファンの人数減少傾向が続くなら,遠からずして我々は「孤立し,世間から理解されないことを嘆く好事家グループ」になるだろう。

 そうなれば,次にどうなるかは誰にでも想像できる話だ。孤立感,疎外感から,グループは結束を固めてゆき,閉鎖的になり,仲間うちでしか通じない話題にますます執着するようになる。そして「自分達がやっていることは高尚なことであり,それを理解できない世間一般の人が愚か(あるいは無粋)なのである」という歪んだ優越感に浸るようになるのだ。

**

 「世間一般の人はテーブルトークRPGについて無理解で困る」と愚痴をこぼすRPGファンの声を聞くたびに,私はその裏にある屈折した優越感を感じてしまう。「テーブルトークRPGの目標は芸術活動である」「テーブルトークRPGは創造的な行為だ」といった,何がなんでもテーブルトークRPGを「(世間一般の人はやらない/出来ない)高尚なもの」に見せようとする発言を読む度に,背後にある劣等感や疎外感や選民意識や何やかやを感じとってしまう。

 まあ,これは,単に私がひねくれているだけのことかも知れない。

 だが,これは心から言っておきたい。私は,テーブルトークRPGがもっと,今よりずっと,世間一般に広く認知され,普及してほしいと願っている。読者の多くも,思いは同じだろう。ならば,我々はもっと外に向かう言葉を持つべきだ。

 我々は,テーブルトークRPGについて全く知らない世間一般の人に対しても,「自分達がやっているテーブルトークRPGとはこういうゲームです。それはコンピュータRPGでは得られないこういう楽しみを得ることが出来るもので,だからあなたも試してみるだけの価値がありますよ」ということを,仲間うちだけでなく世間一般に通じる言葉で,客観的・論理的に語ることが出来なければならないのだ。

**

 ではここで,改めて真摯に考えてみよう。コンピュータRPGでは得られない,テーブルトークRPG特有のメリット,楽しさとは,つまるところ何であろうか?

 ただし,ここでは,回答はプレーヤーに関するものに限定しよう。

 確かに,マスターリング(ゲームマスター作業,あるいは“哺乳類の世話”)には,コンピュータRPGからは得られない種類の楽しみがあるとは思う。が,RPG入門者は間違いなくプレーヤーから始めるわけだから,何はともあれプレーヤーとして得られる楽しみについて回答しなければ,世間一般の人をRPGに引き込む役に立たない。

 さて,すぐに思いつく答えとして「臨場感」とか「リアリティ」とか「感情移入」といった類がある。分かりやすい回答だ。これはどうだろうか?

 確かに10年前ならこの回答にも説得力があっただろう。だが,コンピュータの能力はあれから飛躍的に拡大した。ハイクオリティなグラフィックとサウンドにより構築・表現される仮想空間やキャラクターをもってすれば,そこいらのゲームマスターでは到底太刀打ちできないレベルの臨場感,リアリティ,そして感情移入を実現することが出来る。実際にプレイしてみれば,それはすぐに分かることだ。

 では,「自由度」「柔軟性」といった回答はどうか。コンピュータ処理に比べて,人間であるゲームマスターの処理の方がずっと自由度が高く,柔軟性に優れているではないか?

 だが,これも説得力に欠ける。

 コンピュータの性能向上とメモリ容量の増大によって,ゲームプログラムはかなり柔軟な処理が可能になっており,プレーヤーに与えられる自由度も大きくなっている。もちろん,自由度の極めて低い,いわゆる一本道ゲームもあるが,これはコンピュータRPGの制限ではなく,設計思想によるものだ。充分に自由度が高く,様々な行動や展開をプレーヤーが選ぶことが出来るコンピュータRPGだってある。

 確かに,ゲームマスターの処理の方が,ソフトウェア処理に比べて自由度や柔軟性が高い,というのは正しい。(あらかじめ決めておいた展開しか出来ない,コンピュータにも劣るようなゲームマスターが実のところほとんどである,という冷厳な事実にはこのさい目をつぶることにしよう)
 しかし,コンピュータRPGのプレーヤーは,本当に今以上の自由度を求めているのだろうか?

 たぶん,それは違う。昔ならともかく,今コンピュータRPGにより実現可能なレベルの自由度や柔軟性が得られれば,ほぼ全てのプレーヤーが満足できると思う。満足している人に対して「人間同士でやればもっと自由度が高くなりますよ」とか言っても,たとえそれが事実だとしても,「いやー,私はこれで結構です」で終わってしまうことだろう。

**

 これこそ本命と思えるのが,「コミュニケーション」「キャラクタープレイ」という回答だ。なにしろ人間同士でプレイするのだから,会話,演技といった方面の楽しさについては,一人でプレイするコンピュータRPGに負けるはずがないではないか?

 ああ,しかし技術の進歩により,この回答すら説得力を失いつつあるのだ。ウルティマ・オンラインをはじめとする「ネットワークRPG」の登場によって。

 ネットワークRPGにおいては,参加者はインターネットを経由して専用サーバにログインする。専用サーバ(ファーム)内には広大な仮想世界と様々なイベントが用意されており,キャラクター同士の会話やインタラクションが可能になる。ここにログインした参加者は,全員が1つの仮想世界を共有し,その中で自分のキャラクターを動かして,自分と同じように他の参加者が動かしているキャラクターと,会話したり,戦闘したり,駆け引きしたり商売したりナンパしたりPKったり何やかやするわけだ。

 ネットワークRPGはすさまじい勢いで進化しつつあり,伝統的なコンピュータRPGの臨場感,リアリティ,雰囲気,感情移入に,テーブルトークRPGのコミュニケーション,キャラクタープレイの楽しさを合わせ持ったゲームになるのは,これはもう時間の問題だ。(既にそうなっているかも知れない)その熱中度たるや,ジェフ・フリーマン氏が,本コラムの先輩である"Ack!"の連載を放り投げてしまったほどだ。(いや本当のところはどうだか知らないんだけどね)

 今後数年のうちにデータ通信料金は大幅に引き下げられ,誰もがインターネットに高速アクセスできる環境が整うことだろう。そうなれば,ネットワークRPGは(というかネットワークゲーム全般が)とてもメジャーなものになることは間違いない。その時点でネットワークRPGが提供しているであろう全国(全世界)規模のコミュニケーションや,可能になるキャラクタープレイを想像してみよう。

 さあ,そうなったとき,ネットワークRPGを楽しんでいるであろう世間一般の人に対して「テーブルトークRPG特有の楽しさはコミュニケーションやキャラクタープレイにあります」と言ったとして,はたして説得力があるだろうか。彼らは休日を潰してわざわざ外出して,テーブルを囲んでRPGをやってみよう,などと考えてくれるだろうか。ルールブックを購入して,ルールを覚えようとしてくれるだろうか。パソコン(それともPS2だろうか)の電源を入れれば,すぐに広大な仮想空間に没入して,全国の仲間と会話しキャラクタープレイ出来るというのに?

**

 ここまでの個々の論点について,「いや,馬場さんは否定しているけど,この点については,テーブルトークの方が絶対よい(楽しい)」などと反論したくなった読者がきっといることと思う。もちろん,それは分かる。なにしろ,私もテーブルトークRPGの熱心なファンなのだから,あなたが言いたいであろうことは理解できる。共感できる。テーブルトークには,テーブルトークでしか味わえない楽しみがある。

 だが,今ここで私が論じているのは,テーブルトークRPGの経験のない,世間一般の人に対する説得力の問題なのである。

 いくら「テーブルトークRPGは,この点でコンピュータRPGよりも楽しい。実際にやっている私が言うんだから間違いない」「テーブルトークには,テーブルトークでしか味わえない楽しみがある」「君もやってみれば分かるはずだ」などと言ってみても,それは外に向かう言葉にはならない。外から聞くと,せいぜい怪しい宗教か自己啓発セミナーの勧誘にしか聞こえない。それは「自分達の仲間になった人たちにしか理解・共感できない,外に対して説得力のないこと」を熱心に勧めているだけだからだ。

**

 そうすると,テーブルトークRPGでしか得られないメリット(楽しさ)というものは,客観的・論理的に語り得ないものなのだろうか。それは宿命的に「分かる人,共感できる人」にしか伝えることが出来ず,外へ向かう言葉にすることは無理なのだろうか?

 もちろん,私は私なりの考え,回答を持っている。(それが次回のテーマだ)

 しかし,私の回答が何であるかは実のところ大した問題ではない。あなたが,RPGプレーヤーの一人一人が,自分で考えること(そして,外に向かって語ろうとすること)が大切なのだ。

 ウェブページ,掲示板,メーリングリスト,その他の場で広く世間一般に対して「テーブルトークRPGはこんなに楽しいものです。あなたもやってみませんか」という主旨の呼びかけをしている人は,自分の書いたものが世間一般の人,つまりRPGといえばコンピュータRPG(ネットワークRPGを含む)しか知らない人に対して真に説得力を持っているか,実際にRPG入門者を増やす役に立つ言葉になっているか,よく見直してほしい。自分も世間一般の人になったつもりで,外から自分や自分の仲間を見る視点を持って吟味してみてほしい。

 そして,考えてほしい。我々は,外に対して自分達のことを語ろうとする努力を真剣にやってきただろうか? 我々がテーブルトークRPGについて語り論じてきた言葉は,中に入ってきた仲間同士では通じていたとしても,外へ向かう言葉たりえなかったのではないか? そして,外へ向かう言葉を持とうとしないグループは決して世間から認知され広く受け入れられることはないのではないか?

NEXT

 
 

フッター
タイトル フッター