香織さんが消えてしまったのは、わたしと出会って一年ほど過ぎた頃でした。もう、香織さんの目には色の区別ができなくなっていたそうです。あれから五年が経った今でも、香織さんは見つかっていません。おそらく、これからも香織さんは見つからないだろうとわたしは思います。香織さんが自分で帰ってこない限り、わたしは香織さんには出会えないでしょう。
けれども、『しあわせのメガネ』は出版されました。本物の「桜井美奈子」さんの手によって。
あとがき『絵本・しあわせのメガネ』
この度、『しあわせのメガネ』を出版していただけることになりました。この本は、絵本作家『桜井美奈子』の処女作です。そして、これが最後の作品になるだろうと思います。
私はこれからも絵本の絵を描き続けていきます。しかし、それは今まで通りペンネームを用いてのことになります。この本は、特別なのです。本名での出版は特別なのです。
私は本当にダメな母親でした。娘はきっと私を恨んでいることでしょう。これは、私のせめてもの罪滅ぼしなのです。
桜井香織さんのお母さんは、いえ、桜井美奈子さんは、絵本の絵を描く人でした。プロの画家の道を挫折した美奈子さんは、それでも絵の道に残っていたくて、絵本の道に進んだそうです。
美奈子さんは、果たせなかった画家の夢を、娘の香織さんに託そうとしました。けれども、香織さんはお母さんである桜井美奈子さんのような絵本作家になりたがっていました。
香織さんは、美奈子さんを恨んでいないのだと、わたしは言いたかった。けれども、わたしはあくまでも、普通のメガネですから、言葉を喋ることもできないのです。
香織さんは、お母さんのようになりたくて、桜井美奈子さんのようになりたくて、自分のペンネームを自分の母の名前にしようとしたのだと思います。
わたしは、今も香織さんの机の上に置いてあります。しあわせのメガネではないわたしは、香織さんの目を治すことなどできませんでした。わたしはただ、ずっと二人を見ていただけなのです。
わたしは、ふしあわせなメガネなのかもしれません。なぜなら、香織さんは一度もメガネとしてわたしを使わなかったのです。それが、本当に残念でなりません。
しあわせのメガネがあったとしても、使われなければ何もできません。「しあわせのメガネをかけた人」は目が良くなるのです。使われない限り、わたしは普通の眼鏡なのです。使われたとしても、私は「すぐに」香織さんの目を治すことなどできませんでした。けれども、香織さんがわたしをメガネとして使っていたらと、痛切に思います。
だって、時間をかければ、わたしは。
この本の絵は私が描きました。しかし、文を書いたのは私の娘なのです。二人とも、桜井美奈子なのです。
娘は、私にとってしあわせそのものでした。なのに、私は娘のことを考えてやれなかった。もしも私がお話の中の「女の子」のように「頑張らなくても良いよ」と言えていたなら、娘は私と一緒にいてくれたのかもしれません。
今となってはもう遅いのですが、私は娘を愛していました。色を失った娘が、この絵本を読むことがあり得るでしょうか。願わくば、この本が、桜井香織の目に触れますよう。
そのときは、もう一度二人でやりなおしたいのです。わがままな願いだとは承知しています。しかし、私はそのことを願っています。
桜井美奈子
机に置かれたわたしは普通のメガネです。けれども、普通のメガネにだって、景色は見えます。
庭に咲いているひまわりは、香織さんの描けなかった太陽の色をしていますし、空はどこまでも青く、雲は白く染み透っています。わたしは景色を眺めます。
花を、空を、雲を、そして、今まさに絵本を片手に玄関の門をくぐり抜けようとしている少女の姿を眺めます。泣きながら互いを抱き合う美しい母娘の姿を眺めます。
世界は美しく、鮮やかです。
わたしが使われる日はそう遠くないと思います。そして、香織さんが鮮やかな世界を眺めることのできるようになる日も、いずれはやってくるのかもしれません。
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