特集:童話 Folio vol.3
イラスト:トリゴエユイ
リンゴのマックのものがたり 茶石文緒
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  次の日も、その次の日も、ふたりは一緒に旅をした。たまにはケンカもしたけれど、それはお互いがきちんと自分の言いたいことを持っている証拠であって、決して取り返しがつかないほど傷つけあうことはなかった。
 「いままでどうしてお互いを知らずにいたんだろうね!」
 マックはしみじみ呟いた。いままで見てきたものを、ぜんぶリナに見せてやりたかった。ひとりで切り抜けるのではなく、一緒に経験することができたら、旅はどれだけ素敵なものになっただろう!それはリナも同じだった。今までは悲しみだけに染まっていた虹探しの冒険だって、マックがいてくれたら、最高に楽しい思い出になったにちがいない。
 ある時、ふたりは小さな村に立ち寄った。倉庫からほんのちょっと麦をもらって、おなかの足しにするつもりだった。村をぐるりと歩いて、扉があいたままの倉庫を見つけたリナは、いたずらっぽく微笑んだ。
 「ちょっとだけ待っててね、マック」
 うまくいけば、巣材にするわらくずも取ってこられるわ。そう言って扉の隙間から忍び入ろうとするリナを、マックは倉庫の外で待つことにした。風は静かで、雲がゆったりと流れている。暖かな陽気にほだされて、ついあくびをした、そのとき、わらがガサガサ鳴る音と、凶悪なうなり声が聞こえた。倉庫の守り猫だ。マックは飛び上がった。
 「リナ!」 
 あわてて倉庫に駆け入ると、しなやかな筋肉を持った細身の猫が、宙を横切ってリナに飛びかかろうとしているところだった。リナは身軽にかわそうとしたが、わらくずに足をとられてバランスを崩した。猫の爪が彼女の羽根をかすめるのを見て、心臓が引きつるようにどくんと鳴った。
 何とかしてリナを助けなきゃ。マックは素早く頭をめぐらせた。アーヴァインと一緒に学んだ戦闘の極意を思い出す。
 決して闘いを長引かせないこと。はんぱな反撃を受ける前に、相手の急所に痛烈な一撃を与えること。相手の動きを読みとること、自分の武器を最大限にいかすこと…それらを全て実行に移して、アーヴァインは11頭のドラゴンとの戦いを、わずか一昼夜で勝ち抜いたのだ。
 マックは倉庫の柱をよじ登った。梁の上に立ち、素早く戦況を見おろした。リナはなんとか左右にからだをかわしているが、狭い倉庫の中では思うように動けない。マックは胸いっぱいに息を吸い込む。最大の武器はマック自身だ。紅くて堅い、ドラゴンの息吹に祝福された弾丸。
 「いくぞー!」
 マックは恐怖を振りきるように叫ぶと、勢いをつけて梁から飛び降りた。狙いをたがわず、猫の眉間に体当たりする。猫はぎゃっと悲鳴を上げ、しっぽを丸めると倉庫から逃げだした。
 「マック!」
 猫の額に思い切り打ち当たったマックは、反動で倉庫の隅まで転がっていた。リナがあわてて飛んできたが、マックは起きあがることができなかった。
 「どうしちゃったの!? 大丈夫なの、マック?」
 マックは床にごろりと転がったまま、力なく呟いた。
 「着地しそこねちゃったみたいだよ」
 前にリンゴの木から飛び降りたときは、うまく飛べたのになあ。今にも泣きそうなリナに向かって、笑って見せようとしたけれど、全身の痛みがじゃまをしてうまくいかなかった。

 ここにいたら、いつ猫が戻ってくるかわからない。リナは自分の爪でマックを掴んで、やっとこマックを倉庫から引きずりだした。今までは、つややかな紅いからだを傷つけたくなくて、決して爪を立てたりはしなかったのだけれど、もうそんなことを言っている場合ではなかった。
 必死で飛んだけれど、小さなひばりに丸のままのリンゴはあまりに重くて、リナは何度も空中でよろけた。それほど遠くへ逃げることはできず、近くの家の屋根の上に、そうっとマックを降ろした。
 「マック、しっかりして」
 リナはその場に座り込んで泣き出しそうになった。喉の奥に、差し込むような痛い塊がせり上げてきたけれど、それをぐっと飲み込んだ。傷ついたマックを休ませるためには、柔らかな寝床が必要だった。
 「ねえマック、動かないでよ。ここで待っててね」
 疲れ切った羽根と、くじけそうにな心をふるい起こして、リナはもう一度屋根から飛び立った。枯れ草を必死で拾い集めて、屋根の上に小さな巣をしつらえる。リナに言われるまでもなく、マックはどこかへ歩いていくことなどできなかった。リナの手で巣に招かれると、目を閉じてぐったりと眠ってしまった。
 
 何日も、何日も、リナはマックの看病をした。薬草を集めてきたり、新鮮な水を含ませた綿花で磨いてやったり。でも、マックがふたたび立ち上がって歩き出すことはなかった。
 「リナ、僕はもう、土に還るときがきたのかもしれない」
 「そんなこと言わないで」
 リナは涙声で言い返したけれど、その声には、もう、かつて天にまで届いた春の歌の華やかさはなかった。マックは悲しい笑いをうかべた。
 「ほら、僕のせいで、リナだってこんなに疲れてる」
 「マックのせいじゃないわ。秋のせいよ」
 秋はどんどん深まり、気温は日に日に下がっていった。夜にはほとんど冬と言ってもいいような寒さが襲い、リナは少しずつ弱っていった。
 「ほんとなら、とっくに、南の国へ帰っている頃なのよ。でも…」
 一日いちにちと、自分の命が危険の方へ追いやられていくのを感じながらも、リナはマックから離れることはできなかった。自分がいなくなったら、きっとマックは、回復の望みもなくしてしまう。そう思うと、もうここを発たなければと口に出すことはできなかった。
 「へんな子だなあ、リナは。最初に言ってたじゃないか。うそをついてまで友達のそばにいるなんて、ばかげてるって」
 「そんなこと言うなんて、マックのバカ!あんたはただの友達じゃないのよ!わかってるくせに…」
 何もできない自分がもどかしくて、リナは感情を爆発させ、わあっと泣き出した。その激情が、かつての元気だったリナを思い出させて、マックは嬉しくなって微笑んだ。
 「リナ、大丈夫だよ、君はまだ飛べるよ。南の国に帰るんだ」
 「いやよ!マックを置いていくなんて!」
 置き去りにされる寂しさは痛いほど知っている。それをマックに味わわせると思うだけでぞっとした。マックを置き去りにするくらいなら、いっそ自分が取り残されるほうが耐えられる。だからこそリナは、さいごまでマックのそばにいようと決めたのだ。
 「リナ、よく聞いて。僕も一緒に行くんだよ」
 「無理よ。あんたを抱えては、そんなに長く飛べないわ」
 そうじゃない、とマックは笑った。少し考えて、ゆっくりと、けれどはっきりと自分の決心を口にした。
 「僕の実を食べて」
 「…いやよ」
 リナはぞっとして声を震わせた。愛するマックを食べてしまうなんて!
 「そうすれば、君は元気になれる。南の国にも帰れるよ」
 「やめてよ!マックこそ、誰かに食べられるのが嫌だから旅に出たんでしょ?」
 「僕も同じなんだよ、リナ。君はほかの誰かとは違う、特別な女の子なんだ」
 たしかに旅に出たときは、誰かに食べられて、芯だけになって捨てられるのはごめんだと思っていた。自分には、もっとやるべきことがあると信じていた。
 でも、今となっては、それこそが自分のするべきことなのだと素直に思えた。誰よりも大切なリナを救うこと。アーヴァインが世界を護るドラゴンとして闘うことを決めたように、マックにも決断のときがきていた。
 
「リナ、大好きなリナ。いい子だからよく聞いて」
 リナは黒い瞳を涙でいっぱいにしてマックを見つめた。マックにいい子と呼ばれることは、こんなときでもやっぱり、リナにとっていちばんの幸せだった。
 「僕を食べて、種を持って帰って。君のふるさとに植えるんだ」
 そうすれば、ずっと一緒だよ。いつまでも、どこに行っても。
 そのひとことを言ってしまうと、心のどこにも後悔はどこにも残っていなかった。
 とても静かな気持ちで、マックは、すうっと目を閉じた。


3.そして、別の秋

 いくつもの季節がすぎた。今、季節は秋の半ばだけれど、かつてマックがいた場所よりは、陽ざしはだいぶ暖かい。
 丘の上には一本のリンゴの木。まだ若く、幹は細いけれど、枝には小さなリンゴがいくつも成っている。
 梢にはちいさなひばりの巣。母鳥になったリナは、こどもたちに、マックの話を聞かせてやる。うつくしい声に幼いひな鳥たちはうっとりと聞き入っている。
 「これが、お話にでてきたマックの木なのよ。子リンゴたちはおまえたちのきょうだい。きっともうすぐ目を覚ますわ」
 「目を覚ましたら、いっしょに遊べる?」
 「そうね、きっと遊べるわ」
 子リンゴと子ひばりだけではない。夕焼けの刻になれば、アーヴァインがこどもたちを連れて遊びにくる。みんなが転げあって、空を駆けて、いくつもの冒険を繰り広げるに違いない。
 「それって…ぜったいに楽しいに決まってるわ」
 リナは胸いっぱいにリンゴのみずみずしい香りを満たしながらつぶやいた。なんといっても、これから目をさますのは、あの元気いっぱいの、マックのこどもたちなんだから!と――。