戒告兵談

第一回

イデオロギーの波に惑わされることなく

世の中には自分の命を除くならば何事においても国家が大事であるという考え方と人様の命が大事であるという二種類の思想が存在する。

端的に言われるなら前者がいわゆる右翼、後者が左翼である。

日本では右翼といえば、けたたましい軍楽調で市内を走りまわる街宣車で左翼といえばデモ行進に市民運動というのが相場だ。元々は18世紀末に起こったフランス革命の際に議会が真っ二つに分かれて右側に座っていたのが保守派の議員、左側に座っていたのが現状打破のいわゆる革新派の議員だったことに由来している。

世の中を見ていれば人道などという言葉はどこを吹く風で弱弱しく聞こえているあたり、世界的には右傾化していると言われる。

世界各国を見てもアメリカ・イギリスを始めとして右派政権が確立している。

イラク戦争でその米英に対抗したフランスでさえ、中道とはいえ右派だ。国が絶対の存在で、その枠組みが崩れにくい構造になってきている。

だが、バランスとは大事なもので、思想が極端に傾いてしまうとロクなことがない。極右政権が出来るということはつまり国家至上主義、わかりやすく言えばナチスドイツのような国になってしまうことを意味する。そこには独善で排他的な空気が支配して、周りから孤立してしまう危険性がある。組織や国家が都合良く国民に労使を犠牲を強いるような、そんな社会になる。逆に極左政権が出来てしまうと、理想を追求するあまりに多くの矛盾を生み出して結局は国民がそのツケを被ることになる。カンボジアのポル・ポト政権などはまさにそうだった。結果的にどちらの道を歩んでも多くの流血が流れてしまったというのは歴史の事実である。

さて、日本ではどうか。

目下のところ自民党が長期政権を維持して磐石の右派政権といったところだ。

でも国民のけっこうな数が自民政権の問題に感づいていて、それが民主票へと流れる追い風になってる事実がある。イラク復興は長い年月がかかる事業だし現政権にはマイナスにしかならないような出来事しか起こりそうにない。

極めて慎重に対処していかないと国民の支持を失っていくばかりになる。もっとも経済が確実な復調の兆しを見せているので、その方面を考慮すればあまり悲観はしていないのかもしれない。

やはり靖国神社の公式参拝が当たり前になってきて、国内世論もそれに何とも思わなくなってきたあたりは日本の国民は右寄りになってきてるということと何だかんだで小泉政権を支持しているということなのだろう。

自民党政権の巧さというのは段階的に物事を運んで、急激な変化を国民に感じさせない手法に尽きる。基本的に変化を嫌う日本人の特性をよく理解しうまく利用していると言える。消費税の際もそうだったし、自衛隊だってPKOや復興支援の実績を積んでイラク派遣ですらその段階の一環だと私は見ている。

そう遠くない将来に防衛庁が防衛省へと格上げされるだろうし、低すぎる日本の国防意識が否が上にも高まってくるから自衛隊の存在が増していくことが予想される。

そしてそれに反発するのはもちろん左派である。

だが一昔前までは左派として有力だった社民党(旧社会党)は今や滅亡寸前の有様だし共産党は地団駄踏んで頑なだった方針を和らげようとしている。民主党は市民運動出身の管代表が率いるあたりに左寄り臭さを感じさせるが、実際のところ保守派の元鳩山代表は置いておくとしても、旧自民党で極右といわれる小沢代行代表から旧社会党左派の横路副代表に至るまで思想のレインボー集団という様相のまま国会でも単に首相に食ってかかる好戦的な一面を見せるだけ。

前回の衆院選で流行語のようになったマニフェストも今では無かったことのようになってしまって、どうしてあれで政権が取れなかったのか反省もしない始末。定期テストでは学生が答案を見直して自己反省するものだが、民主党ではマニフェストのいけなかった部分を考えたり反省したりはしていない。あまつさえ破り捨ててしまっている。そういう学生は次も受からないと思う。

元々、24もの政党が寄せ合って政権奪取のために頑張ろうってノリで始まった政党なので一旦冷めてしまうと崩れるのが早そうな政党だ。一枚岩でない上に一つ一つの岩の色が違いすぎるのが致命的とも言える。

かつて全国的に学生運動が燃え上がっていた時代の話。

1960年から75年あたりに至る全共闘の時代においては思想が大きく隔たって大いに荒れたものだが、そこにはたしかにわかりやすい双方の言い分があった。

お互いの正論、正義と正義のぶつかり合いが時として筆を使うか、銃を使うかの話だ。前述したが、日本がナチス・ドイツのように…というくだりで「まさか日本が」と読者は読んでいて思ったに違いないだろう。

実際、かつて自民党の岸内閣が全共闘の熱狂に対して自衛隊を動員し活動家を一網打尽に逮捕拘禁して抹殺し、日本を一挙に独裁体制へと持っていこうとしている…という風なデマを社会党が流して煽っていたものだが、そういうデマが信用されるほど戦後間もないの日本が成熟しきっていなかった証拠だ。元来日本は篭りがちな国民性の強い国だし、情報に惑わされやすい弱点がある。

民主主義とは政治を民衆の側からコントロールすることの出来る政治形態である。現代におけるもっとも安定した優れた形態ともいわれる。と当時に民衆が極端なまでにコントロールしようとすれば、自由や理想を高く要求するあまり、古代アテネのように結果的に大衆を煽動する政治家によって牛耳られて国そのものが崩壊してしまう場末を迎えることになるだろう。

大事なのはやはり考え方が極端になりすぎない柔軟なバランス感覚というものを身に付けることであって、それさえ持っていれば少なくとも現実を見誤ることは少なくなるだろう。それに考え方が違うからといってのっけから理解しようとしなかったり罵倒したりするのは己の心の狭さを見せつけるだけのことだ。

すぐに他人を嫌う人間がいるが、こういった人間は相手の嫌いな部分しか見ようとせず自ら進んで嫌いという気持ちを増幅させているだけに過ぎない。

小なりである個々の人間でさえそうなのに大なりの国家間や民族間にいざこざが絶えないというのは当然といえる。

戦争が起こる発端が何も領土欲や利権確保だけの為ではない。手前勝手な疑心暗鬼からくる先制攻撃の場合も多い。昔ならば両軍の軍使が話し合って、いつどこで決戦しましょうといった打ち合わせで行われていたのん気な時代もあったが、現代戦ではそのようなことは有り得ず、味方の損害をなるべく抑える為に先手を打つ傾向が強い。

軍事大国のアメリカも先制攻撃主義を打ち出し、火のある所に煙は立つという考え方で目下「テロの戦い」の真っ最中である。

20世紀は戦争の世紀と言われたが、21世紀も始まってずっと血なまぐさい年を重ねている。前世紀の後半はなんとか戦争を免れた日本だって、そのうち巻き込まれてしまうことは避けられないだろう。

政治問題としては北朝鮮による拉致問題、鳥インフルエンザなどの防疫問題、竹島などをめぐる領土問題、イラク復興支援における自衛隊やテロの問題があり、実に多くの問題を抱えている。確実に対処することはもちろんだが、高度な情報化とグローバル化する社会にあっては迅速さも課題になってくる。その為にはある程度の法の整備も必要になってくるし、段階的に物事を運んでいては追いつけないことが多くなってくる。

その為には政治家自体が奮起することも肝心だが、国民の理解も大切になってくる。

最近は日々いろんな出来事が起こるせいでニュースの視聴率が高いらしい。それだけ関心が集まっていることは良いことだが、新聞でも左翼系の朝日が決して反戦とはいえない社説を載せたり、主張が二重になっているのが目立つようになってきた。

そんなふうだから個人の判断が重要になってきて、確かなバランス感覚を持って見つめていかないと時代が読めなくなる。左だ右だと決め付けているのはもはや時代遅れなのかもしれないが、何事も惑わされることなく読み解いてほしいものです。

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