Folio Vol.6 Horror

Copyright ©Folio2004
All Right Reserved.
blood

お化けの意趣返し

オカヤマ

2/3

何とも姑息な手段だとは思う。だがこういうのでも休みなく続けば効果絶大だ。昭彦は自身の体験を振り返ってそう確信している。苦悩や不安というのは激しい一撃よりもむしろ、延々と加えられる重圧によって育まれるものなのだ。またあれがあるんじゃないのか、いつまでこれが続くのか、そういう不吉な予感が神経を苛立たせ、精神を打ちのめす。

今日は体育の授業で目が離れた隙に、更衣室から拝借してきた女子生徒のスカートを垣内の机に隠しておいた。気付いて垣内がぎょっとする。そこで昭彦はおもむろにスカートを机から引き出して、ふわりと床に落としてやる。

当然、教室がざわめきたつ。制服をなくしたために上下のジャージを着ている女子生徒は「それ、あたしの?」と怒鳴り、何でそんなことするの、と泣き出した。

俺じゃない、と必死で抗弁する垣内。わざわざ盗んだスカートをそんな目立つところに隠す方がおかしいだろう、とまともな理屈を述べるのだが、そう自己弁護するつもりだからこそ、あえてそこに入れておいたとも勘繰れる。

疑惑の視線に晒されて、力無く何度も「俺じゃないんだ」と呟く垣内の隣で、昭彦は腹を抱えて笑っていた。こうやって垣内の孤立を強め、さらには拒否させ、ついには排斥させるのだ。

その一方で垣内にも自分が憎まれていることを強く意識させることにした。靴がなくなり、定期券を盗まれ、下駄箱にゴミを詰められ、登校早々、自分の机の上に便所のモップが置かれているのを発見すれば、どんなに呑気な人間でも自分が誰かに憎まれ、嫌がらせを受けていると邪推せずにはいられないだろう。

疑心暗鬼にとらわれた垣内はときに激高して、誰がやったんだと怒鳴り散らし、疑わしい人間に掴みかかったりするのだが、もちろんクラスメイトの仕業ではない。周りにしてみればいい迷惑、とばっちりである。自然と垣内を目障りに思う者が増え、露骨に嫌悪を示す者も出始めた。そうなるとさらに垣内は敵愾心を煽られ、被害妄想を喚起され、また何かあるごとに周囲を疑い、感情的な行動に及ぶという悪循環に陥っていった。

――なるほどなるほど確かにそうだ。

昭彦の唇が冷酷に歪む。

圧倒的に有利な立場から思う存分弱者を痛めつける、これほど素敵な遊戯はそうあるものじゃない。この楽しさに較べたら道徳心や良心の呵責など何ほどのこともないのだろう。

主客逆転してようやく昭彦は垣内らの心情を理解した。そして「これは人として間違っているよなあ」と批判したその口で「でもぼくはもう人間じゃないし」とうそぶいては哄笑する。

もはや亡者の身となれば、昭彦は不老不死であり、怪我や病を恐れもせず、飢えや渇きも感じない。二十四時間眠りもせず、生者に好き勝手に干渉しながら、それでいて生者からは一切干渉されることもない。まさに絶対無敵、天下御免の存在だった。

垣内浩太郎の受難は学校内に留まらない。店に入れば知らぬうちに自分のポケットに商品が入っている。それに気付くのはいつも最悪のタイミングだ。店員が通りかかった瞬間にぽとりと漫画がこぼれたり、レジで清算を済まそうとしたら、財布の間から値札付きのボールペンが転がり落ちたりする。いくら無実を言い立てても、実際に自分の懐に商品が入っているのだから誰にも信用してもらえない。頑強に否定すれば警察を呼ばれ、おろおろと狼狽した母が迎えに来る。

ラッシュアワーの電車に乗れば、何もしていないのに痴漢扱いされる。人混みを歩けば前を歩いていた男に、髪を引っ張るなと言いがかりをつけられ殴られる。

頭が狂いそうだ。いや、もう狂っているのかもしれない。いくら何でもこう立て続けに不幸な偶然が起こるわけがない。となれば自分の精神が変調をきたし、わけもわからずに物を盗み、痴漢をはたらき、衝動的な振る舞いをしていると考える方が理屈にかなっている――。

自問自答し、見る見るうちにやつれ果てていく垣内を、昭彦は喜悦の表情で眺めていた。勝ち気で闊達で、傲慢ですらあった垣内浩太郎が、今はびくびく不安に震え、学校にも通わなくなってしまっている。

だがまだ許しはしない。自室に引き籠もっていればそれで穏やかに暮らせるなどとは思わぬことだ。たったひとつの憩いの場すらも奪い取ってやるつもりだった。

突然テレビの電源が入る。操作していないのにチャンネルが目まぐるしく替わる。窓を閉め切っているのにカーテンが暴れる。誰も触っていないのに机から物が落ち、クローゼットの扉が開閉される――。

これら一連のありきたりな心霊現象を目撃するに及び、ようやく垣内も真相を把握した。大いに周章狼狽した垣内は、恐怖のあまりがたがたと震え、涕泣して昭彦に許しを乞う。

誰もいない場所に向かって土下座し、しきりに詫び言を連ねる垣内の姿は滑稽だった。それが必死で大真面目なだけにひどく笑える。背後に立ってげらげら放笑する昭彦の声にも気付かないというのに、いったい誰に向かって謝っているのだ。

昭彦には許してやる気などさらさらなかった。すでにこれは復讐という目的から離れ、今や純然たる遊戯と化しているのだ。垣内がどれだけ謝罪を重ね、償いを重ねようと知ったことではない。ただ面白いからやっている、それだけだ。

昭彦の素敵な遊戯は陰湿かつ巧妙に継続された。ちょっかいを出すのはいつも垣内が独りのときだけだった。だからどれだけ垣内が、昭彦の霊に呪われているのだ、と力説しても両親は信じない。それどころかあまりに真剣に言い募る我が息子の精神状態を疑いさえした。

霊媒師なり祈祷師なりに御祓いを頼んでくれ、そう懇願する息子をなだめすかすようにして、彼の親は精神科医のもとに連れて行った。だがクラスメイトの自殺が心の負担になっているのだとする医師の弁は極めて現実的な回答だったので、垣内の両親は息子の言葉に一切取り合わなくなった。息子がどれだけ激しく昭彦の亡霊を主張しようとも、まあまあ、と幼児をあしらうようになだめ、処方された薬を服むように勧めるのである。

全く、誰一人として垣内に味方する者はいなかった。誰も彼もが彼を狂人扱いし、彼の言葉を信じようとしない。破れたカーテンや割れたコーヒーカップを指して幽霊がやったのだと言い募っても、両親はそれを証拠と見なさない。それどころかいよいよ息子の具合は深刻だと暗い表情になる。

そして独りになるとまた怪異が顕れる。泣き喚き、怯え惑った末に疲れ果て、失神するようにして眠りに落ちれば、今度はセットした憶えもないのに目覚まし時計が喚き立て、わずかな安息を阻害する。

加速度的に疲弊し、頬がこけ目は落ち窪み、自身が亡霊のような姿になった息子を見て、さすがにこれはまずいと判断した両親は彼を病院に入れることにした。
「違うんだ、俺は狂ってないんだ。本当なんだ、昭彦の幽霊がいるんだよっ!」

もちろん誰も取り合わない。気違いが自身を狂人と理解している試しがない。自分はまともだと思っているから気違いなのだ。

暴れ回り喚き散らす気の毒な少年を、ほとんど拉致するようにして数名の看護士が連れて行った。見送る母親はさめざめと泣き、父親は無言でうつむき唇を噛みしめる。

いうまでもなくその背後には、文字通り抱腹絶倒する吉沢昭彦の姿があったのだが、もちろんそれに気付く者など一人としていなかった。

三ヶ月ぶりの帰宅だった。症状が快方に向かい、もはや何の心配もないと看て取った医師が垣内浩太郎の退院許可を出したのである。

どういうわけか入院した直後から、彼を悩ませ続けた怪異現象はぱたりとやんだ。その理由を医師たちは当然のごとく、医療技術と向精神剤の力だと解釈した。何しろ幽霊だの宇宙人だのと騒ぎ立てる患者なら数え切れないほど相手をしてきたし、そういう連中の治療はお手の物だったからである。

精神科医によるカウンセリングもセオリーどおりにおこなわれた。医師は彼の言葉を無理には否定せず、ふむふむと根気強く耳を傾けた上で話をクラスメイトの自殺にすり替えていった。その巧妙な誘導に彼はうかうかと乗り、そして入院してからは恐ろしい目に遭っていないという事実などもあり、医師の言うとおり、あの一連の怪異は自分の心が作り出した虚像だったのだと納得するようになった。

充分な休息とバランスのとれた栄養、そして経験豊かな医師の治療によって垣内浩太郎は心身共に快復した。当人にもその自覚があった。だが三カ月ぶりに自宅に戻る際には不安もあった。医師の手を離れると、また彼の心が昭彦の亡霊を生み出してしまうのではないかと危惧したのである。

しかし何もなかった。至って平穏そのものだった。母が腕によりをかけて作った料理は大変美味しかったし、父が食事の席で持ち出した、福島の祖父のもとに身を寄せてはどうか、という提案は彼の心を軽くした。

福島という遠隔の地ならば、クラスメイトを死に追いやった彼の過去を知る者は皆無であろうし、新たな気持ちで一からやり直すには打ってつけだと思った。再び今の学校に通う気には到底なれないし、行けばまた不安と罪悪感がぶり返して亡霊を生み出してしまうかもしれない。それならばいっそ福島に行ったほうが安全だと彼自身も乗り気になった。

何もかもが良い方向へ動きだしたような気がした。今までのことは全て悪い夢だったように思われた。トイレや風呂といった独りになる場所でも怪異は顕れなかった。さすがに眠る前には不安が募ったので、処方された睡眠薬を服用して床に就いた。薬が効いてくるまでのわずかな時間、彼は戦々恐々と事態を眺めていたのだが、結局何も起こらないまま眠りの中に埋もれていった。

そして目覚めた退院翌日の朝。自然に目が覚めた垣内浩太郎は時計に目を遣る。午前九時、ずいぶん寝坊してしまった。

居間の方からテレビの音声が聞こえる。父は出勤している時間だが、母が在宅していることに安堵した彼はベッドの上で大きく伸びをする。

こんなにも平和な朝が来るなんて。神さま、ありがとう。

そして見た。勉強机に置かれた一枚のルーズリーフ。
《退院おめでとう。これからもよろしくね》

狂気と絶望に満ちた悲鳴が聞こえ、慌てて駆けつけた母の視界に息子の姿はなかった。ベランダに続く窓が開いている。

恐る恐る近付き視線を落とす。

マンションの八階から見下ろした歩道には赤い花が小さく咲いていた。