皿洗いと父の話

平成15年1月28日

(前略)

で、その日から夕食後の皿洗いは私の仕事となった。生来肌の弱い私は、あっという間に手にあかぎれができた。それはどんどん増えた。父は何も気付かない。だが、母はすぐに気付いた。「いいから、今日はお父さんいないから、私が洗うから、もういいよ」私はもちろん、皿洗いをやめない。救いようのない阿呆の私も、そのときには気付いていた。母の手はいつもがさがさで、冬にはいくつもあかぎれができていた。毎日私は母の手を見ていたはずなのに、その実、何も見えていなかったのだ。私は、自分に罰を与えたかったのだろうと思う。

結局、母は私を医者に連れて行き、私を叱り飛ばし、強引に皿洗いをやめさせた。父は、私が皿洗いをやめたことにも気付かなかった。自分が命じたことも忘れていたろう。父はそうした意味では愚かな人だった。

私は長らく、この話を母の思い出として記憶していた。しかしここ数年、この話を思い出すとき、私は父のことを考える。