Folio Vol.10目次など

僕が小説を書く理由

ハシモト

 人に語れるほどたいそうな理由があるわけではない。僕が小説を書くのはそれが好きだからだし、たまに嫌になることはあっても、それは夕食が三日連続でハンバーグだったときに感じる贅沢な嫌悪のようなものだ。
 それでもあえて何か理由をつけるとするならば、それはきっと僕がわがままで貪欲で利己的なことと無関係ではない。「小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います」とは、北村薫が『空飛ぶ馬』の著者の言葉で述べた小説観だが、勝手に付け加えてしまうならば、それは自分が神ではないことへの反発でさえあるのではないだろうか。
 フィクションであるから良いのである。使い古されていそうな言葉だが、自らの手のみで一つの世界を作り出せる創作というのは、誰がどう考えてもエキサイティングな行為である。これほど興奮することはないし、これほど感動することはない。男である僕は子供を産むことはできない(産ませることができるかどうかも危うい)が、何千何万という人物たちを世界に産み落とすことができる。神でない僕は地球を作ることはできないが、遠い宇宙で繰り広げられる人知を超えた争いを作ることはできる。そしてその小説を読む人たちは、運がよければ銀河を救う大英雄の一生を追体験できるかもしれない。場合によってはできないほうが運が良いこともあるが。
 僕は自分のことが大好きだが、どうしても自分が醜い人間であるように思えてならないときがある(鏡を見たときだとか、そういう即物的な意味ではなく)。この世界を愛してはいるが、ときどきどうしてもやりきれなくなることがある(鏡を見たときだとか、そういう即物的な意味ではなく)。そんなとき、僕は空想の世界へ入り込んで魔王を倒したりしたし、村娘を助けたりしたし、果てはその娘を陵辱したりした。とにかく僕は内にこもる性癖のある子供だったし、成人を間近に控えた今でさえそうだ。
 とにかく、僕は感情の激しい人間だ。短気だし、すぐに興奮するし、すぐに泣くし、すぐに怯えるし、すぐに笑うし、すぐに思い込む。それでもすぐに死にたがる人々に比べればいくらかマシだとは思うが、生きれば生きるほど辺りの熱量を吸収していく。その多くをTPOをわきまえず自分勝手に発散するはた迷惑な度胸を持ちながら、同時にそれを胸のうちに少量ずつ溜め込んでいってしまうという厄介な惰弱も持ち合わせている。
 ところで、僕が小説らしきものを書きはじめたのは、十になるかならぬかという子供のころだった。当時は二次創作という言葉さえ知らなかったが、友人たちと一緒になって『スラムダンク第二部』をノートに書き連ねたし、ポケモンが出てからはそのノベライズに夢中になった。ワンピースにはまればそれを書き、気が向けばジャンプの漫画のパクリとしか思えないキャラクターとストーリーでオリジナル小説を書いた。そして友人に無理やり読ませて、首を絞めてまで面白いという感想を強要した。僕に友達が少なかったとするならば、おそらくその原因の一端はそれが担っていただろう。
 要するに、僕とって文章を書くという行為は、自分の中でため切れなくなった何事かへの情熱を、その正負の方向性に関わらず発散するための手段だったのだ。
 小説家になりたいだとか、本を出版したいという目標よりも先に、小説を書かねばならぬ理由があったのだ。小説を書くというはけ口を見つけなければ僕はきっと今のようには成長しなかったし、おそらくその果てにはおそろしくひねくれたゴミのような天邪鬼になっていたはずだ。

 あなたは小説を書くことが好きだろうか。あるいは、小説を読むことが好きだろうか。こんな文章をわざわざ読みに来るくらいなのだから、きっとどちらかは好きなのだろう。でも、あなたに小説を書かなければならない理由や、小説を読まなければならない理由があるだろうか。
 僕にはある。だから僕は小説を書く。
 是非もなく、煎じ詰めればそういうことだ。 fin

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