Folio Vol.10目次など

わらしべ長者になりたくて

先日、とある大手出版社からとある原稿のオファーが来て、やった遂にメジャーデビューだ。すげぇな。引っ越そうかな。海が見える山に住もうかな。空を感じる地下に住もうかな。今の仕事辞めようかな。って仕事辞めたいってのはきっと多分他の理由。主任の重圧とか夜勤の激務とかそういう理由で辞めたいのだけど、それで辞めるのはちょっと格好悪いから、メジャーデビューするってことで辞めよかな。「メジャーデビューだったら……辞めざるを得ませんね。了解しました。辞表を受理します」ってことになんないかな。とりあえず毎日発泡酒じゃなくてビールが飲める生活がしたいな。そうだったらいいのにな。そうだったらいいのにな。

と、浮き足立っていたが、そういうデカイ話は具現化する前に「オレって有名になるんだぜメジャーになるんだぜ」と周囲に吹聴していたら、その話はご破算になるってのはこの世の道理であって、自制自粛。隠忍自重。ここはぐっと我慢するんだ。歯を噛み締めて喜びをこらえるんだ。という生活がここ一ヶ月ぐらい続いてたのかな。で、そのオファー、誰にも吹聴することなくご破産となった。

愕然としました。呆然自失でした。泣きました。それは嘘。泣こうと思ったけどその日は仕事だったので職場に行きました。で、看護記録に記載のミスがあって婦長さんにちょっぴり注意されました。メジャーになったらそんな注意跳ね返してたのに、メジャーじゃないただの看護師はそのミスを大いに反省し、部屋に帰ってそのことを理由に枕を濡らしました。そして数日後、僕を失意の底に突き落とした出版社に、メジャーデビューになるきっかけの企画がボツになった理由を聞かされました。

「もう少し、有名になってください」

えーん本末転倒。わーん理解不能。デビューしてから有名になるんとちゃうんかい。本が売れるから有名になるとちゃうんかい。と、素人ライターの僕はそう思うのだけど、現在の出版業界というものは、悲しいかな、やっぱり売れてナンボの世界なので、ヒロシが本出して売れた。アンガールズが本出して売れたってのはいい例で、すでに著名であるから売れるという実に簡単な理由で成り立っていて、じゃあ僕はどうやって有名になればいいんだ。芸人になればいいんかい。と、出版社はそこまで面倒見てくれるはずがなく、ペンを落とす度に、もしくは人とぶつかる度にジャンカジャンカジャンカジャンカとアンガールズのモノマネしながら今日も仕事で泣きました。

じゃあお前は有名になりたいから文章を書いているのかと訊ねられれば、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。だったら著名な文学賞に応募して賞取ればいいじゃないか。と思うかもしらんが、そういう考えがね、学歴至上主義社会の歪みから産出された価値観なんですよ。

僕はね、そんな煩雑な手段を踏んで有名になろうとは思わないの。僕の文章をわかる人だけわかってもらえればいいんだ。僕の文章を読んでくれる人が一人でもいたら、その一人にためだけに僕は書き続けるよ。って思ってるからなかなか商業ラインに乗らないのであって、じゃあ万人が面白いと思う作品を書けばいいのかというと、そうすると瞬く間に個性が失われて、恋人が難病で死んで悲しい思いをしながら思い出探しの旅に出ましたとか、定職に就かず淫猥な色をしたワゴン車に乗って世界を巻き込んで惚れた腫れたの痴話喧嘩とか、そういうことしか書けなくなるわけ。僕は。俗に染まりきってしまってるから。

よって俗に染まりつつも個性を発揮したいという矛盾を抱えている僕は、文章という表現方法によって、その矛盾をそのまま書いていけば、結構面白いことが書けるんじゃないかなぁと思っているのです。だいたい僕の文章のスタイルは惚れた腫れたの痴話喧嘩で、桃色運搬車のそれと大して変わりがないのだが、その「俗の中に鈍く輝く個性」を表現できたら、それが妙なリアリティを持って読者の心に残るのではないか。読者の心に残るということは、僕の名前も記憶されるということで、僕の名前が記憶されるということは、名が残るということで、名が残るすなわち有名になる。有名になるということは、メジャーデビューできる、あの大手出版社の理屈に適うということで、よし、これからも俗に埋没しながらも個性を磨いていこうではないかとマイルドセブンをやめてわかばを愛煙することに決めました。 fin

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