特集:童話 Folio vol.3
title iimage イラスト:甲斐
はじまりの樹の下で 岡沢 秋
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 むかし、むかし、今はもう、誰も覚えていないほど、ずっとむかしのこと、 世界の真ん中に、とても大きな樹がありました。

その樹は、空に届くほど大きくて、枝は、先が見えないほど大きく張り出していました。
幹はごつごつして岩のよう、太さは、人が百人、手をつないで、ようやく一周取り囲めるほど。
根元に立っても、生い茂った葉で空は見えず、日の光も届きません。
そのため、樹の下は、朝が来ても、夜のように真っ暗なのでした。

大きな、丸みを帯びたぶ厚い葉は、冬になっても、色あせることも、落ちることもありません。
雨が降っても、生い茂った枝葉にさえぎられ、樹の下は一年中、乾いて、他の木や草の育たない土地でした。

その樹は、たいそう大きくて、遠くの島々からも、はっきりと見ることが出来ました。
曇った日は、上のほうが雲を突き抜けて、まるで大きな山のように見えました。
雨の日は、葉に溜まった水滴が、大粒の宝石のようにきらきら輝きました。
雪の日は、枝がみんな真っ白になって、空に続く階段のように見えました。
そして、晴れた日には、大きな、大きな影が出来ました。
影は、遠くはなれた海の上まで、長く、延びていたのです。

樹が根をしっかりと張っていたのは、広い海の真ん中に、ぽつんと浮かぶ名も無い大地の上でした。
島と呼ぶには大きすぎ、大陸と呼ぶには小さすぎ、人は、ほんの少ししか住んでいませんでした。
大地のほとんどは、樹の枝が覆いかぶさって、夜のように暗かったものですから、人々は、枝よりさきの、大地のはしっこに住んでおりました。

樹が、いつからそこにあったのか、誰も知りません。
千年生きる、オオウミガメのおじいさんが子ガメの時には、もう、そこにあったといいます。
大地に住む人々は、ときどき樹を見上げては、変わることのないその姿を、眺めました。
朝が来て、昼になり、また夜になって、季節がめぐっても、樹だけは、変わることなく、いつも同じ顔をしてもそこにずんと立っていました。
そして、何十年も、何百年も時が流れても、樹は、大きくなりもしなければ、小さくなりもしなかったのです。

けれど、ある年のこと、樹の下に住む人々は、枝に、ちいさな白いものがたくさん、見えることに気がつきました。
全ての枝に、いくつも、いくつも、数え切れないほど。
それまで一度だって花の咲かなかった樹に、はじめて、つぼみがついたのでした。


半年もかけて大きくなったつぼみは、やがて、初雪のような、真っ白な花になりました。
それは晴れた日にも、樹に、雪が降り積もったようでした、
ふもとに住む若者たちは、一週間もかけて樹に登り、大きな、大きな花をひとつ持ち帰りました。
その花は、花弁ひとつが家のように大きく、あふれ出る蜜は、ばけつ一杯になりました。
そして、不思議な、よい香りがいたしました。
女の人たちは戯れに、、その花から取れた蜜で、お菓子をたくさん作りました。
甘い、おいしい蜜でした。

花がすべて咲くまでに二年が過ぎて枯れはじめるまで、およそ五年もかかりました。
花びらが色あせるころ、人々は、樹に、たくさんの実が出来始めていることに気がつきました。

薄みどり色をした実は、丸っこくて、硬いカラに包まれて、ひとつが子供ほどの大きさもありました。
それがびっしり、何千、何万も、大きな樹の枝になっているのです。
もしも、実が熟れて、落ちてきたらどうしよう。
人々は急にこわくなりました。
ずっとずっと高い空の上から、大きな実が数え切れないほど落ちてくるのです。
大地は穴だらけ、家はぺしゃんこになってしまうでしょう。

そこで、樹の下に住む人々と生き物たちは、寄り集まって、どうしたらいいかを相談しました。
誰かが言いました、”樹を弱らせて、実を、みんな枯らしてしまったら、どうだろう”。
けれど、どうすれば樹が弱るのか、誰にも分かりません。

根っこを掘ってみました。
けれど、その根はあまりにも太く、深く地面に差し込まれていて、みんなで一生懸命掘っても、何十年もかかりそうでした。
樹の表面を傷つけてみました。
けれど、その表面は岩のように硬くて、とても、奥まで切りつけることは、できませんでした。
鳥たちが実をつついてみましたが、そんなにたくさんの、しかも一つがとても大きな実では、世界中の鳥たちが集まっても無理でした。
りすやねずみたちが枝を齧ってみましたが、一本齧り終えるまでに、みんな、あごが痛くなってしまうのでした。

さあ、どうしたらいいでしょう。
みんな、途方にくれてしまいました。

その間にも、樹の実は日に日にふくらみ続け、太陽の光を受けて、つやつやと輝いて
おりました。
遠くから見たその実は、まるで、枝に無数の宝石が連なっているようにも見えました。
けれど、その実がふくらむにつれて、大地の上の、ほかの植物は、つぎつぎとしおれて、しおれてゆくのです。
やがて、大地のまわりの海のさんご礁でも、赤や黄の鮮やかな、さんごの色や、黒っぽい海草の色がぜんぶ消えて、まっしろになってしまいました。
あの樹が、ぜんぶの栄養を吸い取っているせいだ、と、誰かが指さして言いました。
人々はいつしか、天をつく大きな樹を、にくむようになっていたのでした。