こうして、ひとりになったマックは、またあてのない旅に出た。炎のドラゴンと過ごしていたものだからわからなかったが、いつのまにか気候はずいぶんと寒々しくなっていた。そろそろ歩き疲れたし、陽も落ちかけてきたので、マックは休む場所を探すことにした。
今まではアーヴァインが、心地よい寝床を整えてくれていた。いつもきれいな木の葉が敷いてあって、おまけに丁寧にねこやなぎで磨いてくれるサービスつき。
「でも、これからは、新しい暮らしをしなくちゃ」
やがてマックは、風のあたらない岩場に、わらが集まった窪みを見つけた。わらは清潔で、大きさも、マックが収まってちょうどいいくらい。マックは嬉しくてにこにこした。
「今夜はここを借りようっと」
ひとこと呟いて、マックは勢いよく、わらのまんなかに飛び込んだ。体を落ち着けてみると、歩きつづけた足がとても疲れていることに気がついた、マックはやがて、暖かなしとねに包まれて眠りについた。
最初にマックを目覚めさせたのは風だった。次に、ばさばさと何かがはためく音。やがて何かが降り立ったような軽い衝撃がわらのねぐらを揺らし、最後に頭上から、小川の飛沫のように美しい声が響いた。
「あんたは誰?どうしてあたしの巣で寝てるのよ?」
あたしの巣だって?
マックはびっくりして目をあけた。もうすっかり陽は暮れて、頭上には白みがかった月が浮いていた。その光を遮るように、ひとつの影がマックを見下ろしていた。
それは一羽の小鳥だった。毛並みはつややかで、黒い瞳には意志の強そうな光がキンと宿っていた。けれどその声はどこか不安そうで、見知らぬマックを怖がっているのが見てとれた。
「ああ、ごめんよ。ぼくはリンゴのマック」
マックはできるだけおだやかに挨拶した。小鳥は驚いたように目をぱちくりさせた。
「リンゴ? あなたが?」
「旅をしてて、すっかり歩き疲れちゃって。ついつい眠っちゃったんだ、ごめんよ」
「リンゴねえ」
小鳥はびっくりして呟いた。旅をしていて疲れたなんて、まるで小鳥の仲間のようなことをいう。おまけに赤いからだには、てっぺんから放射状に、矢のような模様がくっきりと描かれている。こんなリンゴ、見たことないわ。でも、彼が放つみずみずしい香りは、まちがいなくリンゴのものだった。恐怖をぐっと飲み込んで、ひばりはレディらしく自己紹介した。
「こんにちは、マック。あたしはひばりのリナ」
「リナかあ。可愛い名前だね」
マックは嬉しくなって応えたが、リナはつんと横を向いた。
「お世辞なんかいらないわ。そういう奴に限って、あたしがほんとに危ないときは知らんぷり」
「僕はそんなんじゃないよ」
マックはちょっと不機嫌になって言い返した。可愛いけど、ちょっと、わがままみたいだ。でも今は、マックが彼女の巣に勝手に潜りこんで寝ていたのだから文句は言えない。ものも言わずにくちばしで攻撃されて、傷だらけにされていたっておかしくないくらいなのだ。
「ごめんよ、君の巣だって知らなくて。すぐ出ていくよ」
「べつにいいわよ。他に行くところもないんでしょ、どうせ」
「そりゃそうだけどさ…」
「じゃあ、今夜は泊めてあげるわ。あたしの寝るところをちょっぴり空けてよ」
マックがずり下がって場所をあけると、リナはするりと巣に入り込んだ。ちょっぴり狭かったけれど、リナが広めに巣を作っていたおかげで、ぴったりくっつけば、なんとか寝ることができそうだった。
「おやすみ、マック」
「うん、おやすみ、リナ」
目を閉じると、リナのすべすべとした羽根と、あたたかなからだの感触が伝わってきた。小さく刻まれる彼女の鼓動をゆっくり数えるうちに、いつの間にかマックの胸は、やさしい気持ちで満たされていた。
「リナはあったかいね」
うっとりとマックが呟くと、秘密でも打ち明けるような、リナのひそやかな声が返ってきた。
「マック、あんたは、いい匂いがするわ」
そしてふたりは、心地よく乾いた巣のなかで寄り添いあって眠った。
次の日から、マックとリナは一緒に旅をすることにした。地上を歩くマックの上を、低空飛行のリナがひらひらと舞っている。おだやかな陽気の下で、ふたりはたくさんの話をした。
「…そんなわけで、ぼくは最近まで、ドラゴンと一緒にいたんだ。この模様があかしだよ」
「ふうん」
リナは気のない様子で相づちをうつと、空中で軽くさえずった。
「宝珠のふりをして、黙って座ってるなんて。あたしなら、そんなことはしないわ」
「なんでさ」
「あたしは自由よ。うそをついてまで、友達のそばにいるなんて」
「そんなんじゃないよ。ぼくはアーヴァインが好きだから一緒にいたんだ」
「でも、あんたは旅がしたかったんじゃないの?」
「脇目も振らずに歩くだけが旅じゃないよ。寄り道だってするさ」
「ふうん。よくわかんない。あたしはずっと独りでやってきたもの」
「強いんだね、リナ」
リナはちょっぴり恥ずかしくなって黙り込んだ。ほんとうは、口で言うほど格好いいものではなく、単に友達づきあいが得意でなかっただけなのだ。
逃げるように高度をあげて、リナは周囲を見渡した。いま歩いている平野の向こうにちいさな丘があり、ふもとに可愛らしい雑木林があった。
「ねえマック、あの丘までいくわよ」
リナはぴしりと言うと、翼を堅くしてすっと風に乗った。たちまち彼女はスピードを上げてマックから離れてしまう。
「おーい、待てよ、リナ」
「先に行って、木の枝を集めておくわ。ついてきて!」
「ちぇ」
飛べないマックは、ぴょこぴょこ歩きながら、ぶつくさ後をついていく。リナの影は、あっというまに遠くなっていった。
マックが追いついてくるまでの短い時間に、リナは枯れ枝を集めて簡単な巣をしつらえた。そんなに広くはないけど、自分とマックが一晩休むには十分だ。マックがぜえぜえ言いながら丘にたどりつくと、リナはちょっと迷ってから問いかけた。
「今日もいっしょに寝る?」
「君がいやなら、よそを探すけど」
「そんなこと言ってないわよ。きゅうくつなのが嫌いかなと思って」
「僕は平気だよ。君はあったかいしね」
「じゃ、いいわ。来てよ」
リナはひらりと舞い上がり、マックはよいしょよいしょと、巣を据え付けた枝まで木をのぼった。本当は、リナがマックを掴んで運びあげてもよかったのだけれど、自分の爪がマックを傷つけてしまいそうで何も言えなかった。きっと、意地悪な子だと思われてるわ。リナは悲しくなってうつむいた。
ふたりして寝床に落ち着いても、リナはまだ黙り込んでいた。隣にいるマックは、やっぱり甘くいい香りがして、つやつやと堅かった。ちいさく華奢な小鳥のからだに比べて、それはとても頼もしく思えて、リナはなんだか泣きたくなった。
「ねえ、マック」
「うん?」
「あたし、ずっと友達がいなかったのよ」
リナはほかの小鳥たちよりも高く飛べたし、自分で餌を見つけることもできた。ときには好奇心のままに群を離れて遊ぶこともあった。彼女は自由を楽しんでいるだけのつもりだったけれど、ほかの小鳥たちはそうは思わなかった。あの子はきっと、群れには興味がないんだ。仲間なんかいなくても、ひとりで生きていけるんだ。
「ある日、あたしは散歩に出かけたの。虹がきれいだったから、ふもとの畑まで行こうと思って」
畑までいけば、虹の橋を渡れるかもしれない。そう思って飛んだけれど、美しい幻は、たどり着いてみると消えていた。すでに太陽は落ちはじめ、心細くなったリナは回れ右をした。薄闇の中を必死に巣に戻ってみると…そこには、もう、だれもいなかった。
「ひどいなあ、君を置いていっちゃうなんて」
マックは本気で心を痛めて言った。自分から旅に出る道を選んだとはいえ、兄さんや姉さんたちが人間に摘まれていくときは、マックだってやっぱり寂しかったのだ。
「ちがうの。みんなが悪いんじゃないの。あたしが群に従わなかったから…」
ひばりはこの季節になると、暖かな太陽を求めて南へ渡る。厳しい冬が追いかけて来る前に、この土地を離れなければならない。群を離れてふらふら飛んでいった一羽のことを、いつまでも待っているわけにはいかなかったのだ。
「見捨てられても仕方ないのよ。あたし、勝手だし…」
「そんなことないよ。リナはいい子だよ」
「…ほんとにそう思う?」
当然、とマックはうなずきかえす。見しらぬマックを迎えてくれた、親切な女の子。自由に飛ぶことができて、勇気と決断力があって、こんなに暖かくて。自分がリンゴじゃなくて小鳥だったら、きっとこんなふうになりたいと憧れたに違いない。
「ねえ…じゃあ、マック」
リナはちょっとためらった。いつもと違う声で囁きかけるとき、微かに喉もとの羽毛をふるわせた。
「あなたは…あたしの友達になってくれる?」
「もう友達だよ。最初に会ったときからね」
マックは静かにこたえた。しばらくふたりは黙っていた。夜が満ちてきて、静かな水のように周囲を満たした。天上にはつめたい色の星が、ガラスを砕いたように一面に瞬いていて、マックは初めて気づいたように、世界の全てをきれいだと思った。
そのまま黙っていても心地よかったかもしれないけれど、彼女が何を言ってほしいのかマックにはわかっていた。だから、眠る寸前に、小さな声で付けたしてやった。
「リナ、僕は、君を置いて、どこかに行ったりはしないよ。だから、安心しておやすみ」
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