Folio vol.5 mystery

「このミス」回答サークルの素顔拝見
関西学院大学ミステリ研究会

徳保隆夫

本稿は、関西大学ミステリ研究会現会長の山紋氏と、前会長の松竹梅氏に語っていただいた「私見」をもとに、徳保隆夫が簡単な追加調査の結果を含めて再構成したものです。関学ミス研会員が機関誌および公式Webサイトでペンネームを用いていることなどを考慮し、人名はすべて仮名としています。また本文では敬称を略しました。以上、予めご了解ください。

関学ミス研クロニクル

年度末の3月某日、今日もまた、人影まばらな上ヶ原キャンパスで一人黙々とポスターを貼る男の姿があった。大きく描かれた英国の名探偵、シャーロック・ホームズの横顔が、風に寂しく揺れている。何度貼っても、いつの間にか剥がされているポスター。しかし彼は諦めない。来る日も来る日も、黙々と地道な作業を続ける。知的で温和な雰囲気を身にまとってはいるが、眼鏡の奥の瞳には、強い意志が宿っていた。

彼こそ、後の関西大学ミステリ研究会永久名誉会長、立志伝中の人物、何影雅也その人である。当時、社会学部社会学科2回生。

14年ぶりの復活

国内でミステリが一番盛り上がるのは、年末のベスト10シーズンだ。秋口から話題作が目白押し、そして12月に入りベスト10が発表されると、どこの書店にも仰々しくミステリコーナが作られる。文庫読みの至福の季節が夏なら、ミステリ読みの最良の日は冬に訪れる。

数あるベスト10の中でも最大の注目を集めるのが、宝島社「このミステリーがすごい!」だ。「このミス2004年版」のアンケート回答者は国内67名、海外71名。この中に、大学サークルは6つある。ワセダミステリクラブ、慶應義塾大学推理小説同好会、京都大学推理小説研究会、立命館大学ミステリー研究会、東京大学新月お茶の会、そして関西学院大学ミステリ研究会だ。じつは、この顔ぶれは長年変わっていない。

この中で関学ミス研だけが特異な存在であることは、意外に知られていない。「このミス」がスタートしてから10年以上もの間、関学ミス研には現役部員がいなかった。関学ミス研の回答権は、もともとOB会に与えられていたのだ。(そのため、現在でも関学ミス研の回答にはOB枠が用意されている)

関学にミス研が復活したのは2001年3月、「このミス2002年版」によれば、じつに14年ぶりのことだった。まだ3年前の出来事であり、当時を知る者が今も在学している。彼らの証言をもとに、その経緯をまとめると、次のようになる。

先輩に恵まれて

創始者・何影は筋金入りのミステリファンだったが、関学にミス研が存在しないため、当初は別のサークルに入った。そこで古今東西のミステリに精通した笠坂祐輔、吹雪零という素晴らしい先輩に恵まれたことが、彼の大学生活を変えていくことになる。また、笠坂の友人には中中駆がいた。笠坂と中中は古今東西の本格ミステリを読み尽した生き字引のような存在で、何影に「目指すべき位置」を身をもって示す人物だった。そして吹雪はミステリ通であり推理勘も鋭く容姿秀麗という反則キャラクター。

2001年春、3回生への進級を前に一念発起してミス研を立ち上げた何影だが、決心の背景には偉大な先輩たちの存在があった。しかし現在の第3代会長、山紋哲也(現・社会学部社会学科3回生)が「吹雪さんは、絶対人が集まらないとふんでいたそうです」と語るように、周囲の人々はその先行きを危ぶんでいたという。実際、当初はポスターの張り出しさえ思うようにはいかなかった。

ところが、何影が一人で始めたミス研は2ヶ月弱で軌道に乗り、8月には夏季合宿へ繰り出すまでに成長する。

新入生が続々と入会

松竹梅美沙子(現・法学部法律学科4回生)は、ちょうどミス研復活と重なる2001年4月に入学した名誉あるミス研第1期会員だ。

「基礎ゼミの自己紹介で、「ミステリが好き」と話した女性がいまして」と松竹梅は語る。密かにミステリを愛していた松竹梅は早速その女性に近づき、友人になった。モノトーンの渋いポスターを発見したのは、その友人だったという。「眼を引かれたのはポスターの絵柄。心を惹かれたのはミス研そのもの」(松竹梅)……何影が貼った、大きくホームズの横顔の描かれたポスターだった。

強力なエンジンの誕生

友人と一緒にミス研に入会した松竹梅は、後に第2代会長を務め「この人なくしてミス研なし!」とまでいわれることになる。手探りでスタートしたミス研を支え、現在につながるミス研の基礎を築いたのは、松竹梅ら第1期会員たちだった。例会、読書会、合宿などの基本的な活動スタイルは、2年目よりハッキリと実権を握った松竹梅世代が地ならしをし、整備してきたものだ。

8月の夏合宿の参加者は、院生が3人、何影ら学部3回生が2人、学部1回生が7人、不明1人の合計13人だった。ポスターを貼った年にミステリ名好きな女の子がたくさん入学してきたのは「運がよかった」というのが定説のようだ。学部1回生は全員女子だったが、結果的にこの偏りはよい方向に働いた。何影は「なに〜」が口癖の飄然とした人物だが、ぐいぐい集団を引っ張っていくようなタイプではない。女子部員らはそれぞれに仲良くなり、「合宿先や飲み会、その他イベントは女子の一存」(山紋)で決まる体制が定まった。こうして、ミス研の運営に強力なエンジンが誕生した。

その後のミス研

順風満帆に見えたミス研の船出だが、翌2002年、ひとつの試練を迎える。「ゴールデンウィークを過ぎ、あせる人たちを捕まえる作戦」(松竹梅)をとったのだが、そのためかどうか、第2期会員は山紋ただ一人となったのだ。

しかし山紋は「少数精鋭」(同)として可愛がられ、押しも押されぬ第3代会長へと成長する。2003年春には無事に複数人の第3期会員を得て、何影ら卒業しゆく先輩たちの心配を払拭した。そしてまた1年が経ち、ミス研は2004年の春を迎えた。桜も見頃の4月2日に新入生が入学し、キャンパスにはまた喧騒の季節がやってきた。マナカナの入学で例年になくマスコミの取材も多かったが、大半の学生には遠い話だ。ミス研は今年もミステリ読みの正統派サークルとして、和気あいあいと活動を続けていくだろう。

余談

幻影
関学ミス研の機関紙。お勧めミステリの紹介やリレー小説などを収録する。タイトルは何影の名にちなんだもので「まやかげ」と読む。2001年の夏合宿において多数決で決定された。
吹雪零
ミス研歴代有数の名探偵。2001・2002年の夏合宿において、溢れる才能の一端を示した。また公に容姿秀麗と評される類まれな実在人物。冷え性が玉に瑕。

日々の活動

講義が終わり日も暮れると、関西学院大学上ヶ原キャンパスの人口密度は急速に下がっていく。夕方6時、開いている食堂は旧学生会館1階 BIG MAMA だけになる。無機質な白い長机とパイプ椅子が一面にズラリと並んでいる。照明は無骨な蛍光灯、床はタイル張り、機能性重視で設計された、いかにも昔ながらの学食だ。席はそこそこ空いているものの、ワイワイガヤガヤ、活気は失われていない。

そんな食堂の一角に、長机をひとつ占拠して缶飲料やジュースを並べ、軽食をつついている楽しげな集団がいる。よくみると、何冊かの本が人手を行きかっていることに気付く。和気あいあいと歓談に興じている集団の正体は、もちろん関学ミス研に他ならない。

例会

BIG MAMA は、その名の印象とは裏腹に、キャンパスで最も素気ない食堂のひとつだ。壁の一面がガラス張りだったりして、昔は最先端の設計だったのだろう。しかし今や、古きよき時代の証人だ。お茶が無料で飲み放題なのは嬉しい。調理場は午後7時に閉じるが、食堂は8時頃まで開放されている。ミス研の例会は、週1回、この時間帯を活用して開かれているという。

例会の主な内容は「この1週間で何読んだの?みたいなことや本の貸し借り」(山紋)だ。学生間の貸し借りはえてしてルーズに流れがちだが、本の返却は「松竹梅以外、早い」(同)ので、安心だ。お勧めする本、仲間の読みたい本を快く貸す雰囲気は、創始者・何影の置き土産だという。

大抵みな、借りた本は次の例会までに読んでくる。といっても、速読派というわけではないようだ。早い方に属する者でも300頁の文庫本を3〜4時間で読了するペース、多くは2段組の本を1頁読むのに1分かかるくらいの早さだというから、平均的だ。けれども、週に500頁読む場合、前述のペースなら1日1時間あまりを読書に充てればよいことになる。生活のリズムに趣味の時間が組み込まれていれば、知らず知らずのうちに読めるわけだ。

高い出席率の秘密

ミステリ読みに限らず、読書趣味の不幸は、自分の好きな本を周囲の誰も読んでいないことにある。一般論以上の話をできる場が、なかなかない。ふだんはそれでよくても、ときには好きな本の話をしたくてうずうずする経験は、多くの人にあるのではないか。山紋は「それがすごい本だったらなおさらですよね。「占星術」だとか」と語るが、首肯される方は多いだろう。

ミス研の例会は約9割の出席率だという。これは上等な数字だが、「ミステリを読み始めて、もっと読みたくなってミス研に入ってきてくれたのだと思います。ですから、「アレ読んでいないの」ということで切ることはなく、じゃあ、これを読めばと、みんなでアドヴァイスしあって、面白さを分かち合っています」(同)という説明を聞けば納得できる。(注:今回の Folio に収録された MYSCON5 のレポートも参考にしてほしい)

読書会

読書会は年に数回、薄暗い喫茶店で開催されている。課題書は「あの作家やってない」とか「あの有名作をぜひ今」など、適当に決められているという。

参加者はみな当日までに課題書を読んで臨むのが前提だから、当然、ネタばれアリで話が進む。ところが、しばしば読み終わっていない会員が、まだ店内で読んでいることがある。困った話といえば困った話なのだが、しかし関学ミス研はほんわかしたサークルなので、そんなときも決して険悪な空気にはならない。前座の雑談を延長するなどして、楽しく時間を過ごして待つ。

読書会が始まっても、あまり深い話にはならないことが多いという。会員の疑問・つっこみを中心に話が進み、終始和やかに展開する。読書会でのやり取りはテープに録音しており、後日、テープ起こししたものを整理して公式 Web サイトにて公開している。現場の雰囲気をよく伝える力作となっているので、興味のある方はぜひ、ご覧いただきたい。

部室がない

関学ミス研の活動は、かなりストイックだ。週1回の例会、年数回の読書会(こちらは薄暗い喫茶店で開催される)が活動の中心をなしているわけだが、いずれにせよ「ミステリを読む」「ミステリを語る」ことに重点がある。このような事情もあってか、ミス研には、まだ部室がない。「近いうちに何とかなるのではないか」(同)というが、具体的な計画はないらしい。部室がないから、ミス研に入り浸って学業がおろそかになるなどという心配はないようだ。年間100冊以上を読む山紋も「問題なしです」と断言している。

本格ミステリへのこだわり

関学ミス研は、創始者・何影やその先輩たちが本格ミステリのコアなファンだったこともあり、現在に至るまで本格ミステリを中心とした活動を行っている。しかし近年、様々な事情からミステリというジャンルは肥大化の傾向にある。少なからぬ新入生は、「ミステリ」というとき当然に「本格」を想起しない状況になっている。このため、全国のミス研系大学サークルの多くも、読み込む本の対象を広げつつあるのが現状だ。

しかし、本格ミステリにこだわることには、ひとつ意味がある。本格ミステリは、定番作品をきちんと押さえていくことで、よりいっそう楽しめるようになるのだ。作者自身が、「作品単体でも、もちろん楽しめるが、できれば***を先に読んでいただきたい」と語る例が少なくない。「***」がシリーズの前作なら他のジャンルにもよくあることだが、ここで「***」が過去の名作だというところに、本格ミステリの特徴がある。

あらゆる小説技法、トリックのパターンはおよそ出尽くした感がある現在、少なからぬ作家も読者も、歴史の積み重ねを知った上で楽しめる作品を求めているのだ。そのため、定番作品を読み込んでいるか否かによって、本格ミステリの楽しみの深さは大きく変わってくる。手当たり次第に話題作を追いかけていっても一端の通になれるジャンルとは、いささか性格が異なっている。

そのため、本格ミステリという趣味を追求する際には、他ジャンルより切実に「ガイド」が求めれらる。サークルに入り、本の感想を寄せ合う行為に、積極的な意味がある。先達の示すちょっとしたヒントが、アドバイスが、読書生活を豊かにする。

関学ミス研が本格ミステリに傾注するのは、第1義的には、現在の会員が「本格ミステリが好きだから」だろう。だが、山紋の「ミス研はミステリを読むという目的がありますから」という説明が説明として機能する背景には、本格ミステリを読むということと、ミス研の活動との密接な関係がある。

今後の展望

本格を愛する山紋は「やはり本格を読んでもらいたいなぁという思いはあります」という。もちろん、新入生らとの間に認識のギャップがあるとしても、それを無理に埋めていくつもりはない。ミス研が今後、どの方角へ舵を取っていくかはわからない。ただ、本格を柱にした活動を続けてきたこれまでのミス研の歩みは、大学サークルのひとつの理想的な姿だったのではないか、と筆者は思う。

クローズアップ山紋

ミス研に興味を持ち、ちらっと例会などをのぞきにくる人は少なくない。しかし、きっかけは「偶然」であっても、最終的にミス研に残るのは、何らかの「必然」的理由のある人に限られるという。(ただし、当人がその「必然」を自覚しているとは限らない)

小史

現会長・山紋哲也は中1の夏、「中学入ったから、本でも読もうかな、それぐらいの気持ちで」読んだ「十角館の殺人」に憑かれた。

小学生時代の山紋は、毎日のように外で遊びまわり、ザリガニを取ったり焚き火をしたりして毎日を過ごしていたのだという。中学ではバスケ部に入り、毎日きびしい練習に明け暮れたが、暇を見つけては京大ミス研出身者を中心に、本格ミステリを読み続けた。ただただ犯人の意外性に驚くのが楽しみだった。

高校生は少し遠くへ進学し、バス通学の日々となった。気ままな帰宅部生活を送りながら、朝夕、バスに揺られながら本を読むのが日課になった。乗用車の中で本を読むと酔ってしまう山紋だが、バスでは適当な席を選べば読書に支障なかったという。当時の読書ペースは、年に約40冊。

関学の学生になった山紋は、4月を過ぎても特定のサークルにかかわることなく、ぶらぶらしていたらしい。山紋がミス研と出会ったのは、ゴールデンウィークを過ぎてからだった。学生会館を歩いていて、ふとミス研のポスターを見つけたとき、山紋は「叫んだ」という。本格バカを自称する山紋にとって、ミス研はいつか辿りつくべき場所だったのかもしれない。

何影ら先輩の薫陶を受けた山紋は、大学に入って以降は年100冊余りというハイペースで本格ミステリを読み込んでいく。ロジックやトリックの鮮やかさに気付くようになったのは、読書量の増進と先輩の影響が大きいという。「大変成長したと思います」という山紋は、どこか晴れやかに見える。

そして

会員のささやかな幸せに資するサークルである限り、ミス研は大切な場所であり続けるだろう。