おいしい水

さいき

第五話 ほんのそこの角で

On the Corner
ジャケット
Miles Davis
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病院からの帰り道の角で響が車とぶつかって病院に運び込まれたという連絡が救急病院からあったのは、ある晴れた春の午後だった。僕は慌てて駆けつけると、真っ白いベッドの上で、ケラケラと笑って僕を見る響がいた。
「一瞬、自分が死んじゃたかと思ったわ」

その普段と変わらない言葉に僕は安堵した。気を失ったのはほんのちょっとの間だけ。そう答えてまた笑った。車をぶつけたのはどこの馬鹿かと憤ると、大貫さんは、今帰ったのよ。きっと廊下ですれ違ったに違いないわよ。という。
「おもしろい夢だったわ。いきなり真っ暗になったと思うと、ベイサイドホテルかどっかのレストランで私たち、向かい合って座ってるのね」

僕は笑った。行ったこともないのに、と。
「そうなのよ。でもあれは間違いなくベイサイドホテルだったわ。真っ赤な絨毯で。一目見たら分かったの。あ、ベイサイドだって。でね。ボーイが居たんだけど、おかしいのよ。そのボーイ、沢村さんだったのよ」

沢村さんとは、昔サークルで僕たちの先輩だった人で、 190センチの長身の割に小さなものが好きで、チョロ Q のコレクターだった。
「なんで沢村さんなんだろ?」
「わかんないけど、聞いて聞いて」

響は続きを急いだ。僕は任せることにした。
「でね。私たちのとこに、大きなお皿からはみ出してるぐらいのエビを運んでくるのね。注文もしてないのに。私、言ったわ。これ、違いますって。でも、沢村さん、注文しましたよ。っていって置いてゆくの。見ると、エビ、ほんとにおっきいのね。目がぎょろっとして私たちを見て、びっくりしてる私たちに言うの。『おれたちは音楽をつくっているんじゃなくて、宇宙の欠片(かけら)を拾っているのさ』って」
「なんだ、それ」

両手を始終動かしながら話す響は幾分興奮気味だった。
「でしょ。でしょ。だから私は言ってあげたわ。エビでしょ?あんた。って」
「あはは」
「そしたら『エビだろうが蛙だろうが関係ない』って言って、足を動かし始めたのよ。そう。足。エビの足って何本あるんだっけ?あの足をあっちこっち向けてもぞもぞ動かし始めるのよ。そしたらグラスが踊って、カップが跳ねて、スープがこぼれて、音也ったら慌ててて、おかしかったわ。でね、でね。お店に来てた人たちが私たちのテーブルに集まって、みんなが手を叩くの。こうやって」

響は両手をタン、タタンッとリズムを入れて打った。
「エビはね、踊るの。ビチビチって跳ねて。で、隣のテーブルの上にいたタコがブーブーっていって口を鳴らすの。アヒルが鳴き出すし、ほんっとむちゃくちゃ。でも楽しかった。私はご機嫌で踊ってて、音也はもう慌ててるだけ」
「変な夢だな」
「でしょ。」

響はやはり興奮した様子で「それから、照明が暗くなってクラブみたいに電飾がちかちかし始めて、ミラーボールが回ってて、綺麗だったわよ」と身振りを加えた。僕は呆れていた。こっちが心配して慌ててる時に、そんな悠長な夢見てたなんて。
「頭でも打ったんだろ。ばーか」

「えへへ」と笑った響は「心配かけてごめんね」と言った。
「事故だからしょうがないよ」

無傷だしどこも打ったわけでもなく支障もなかったことなので、数日注意するようにと医者に言われて僕たちは帰宅することになった。帰り道、商店街を抜けて川に向かう道すがら、響は「セントジェームス」を歌いながら(辛気くせーな)、にこやかに言った。
「私より先に死んだりしないでね」

夕日が黄色く響の鼻筋を染めていた。
「ったりめーだよ。ばか」と僕は返した。

その夜、電池が切れたようにぐーぐー眠る響の横顔を眺めながら、僕は、ちょっと悲しくなったりした。おかげで翌朝、響に叩き起こされたというのは、また別の話。

今回全くの駄洒落です。すみません。というか「 On the Corner 」 は JAZZ 史における事故のようなものだ、とこじつけることにしよう。 常に最先端を目指していたマイルスはファンクとジャズの融合を図る。その結果生まれたのがこのアルバムだが、アルバムからリンクしたアマゾンのレビューに誰かが書いてたように、いわゆるノリのいいジェームス・ブラウン型のファンクではない。でも音が氾濫していて、第一聴したときには、なんだかわからないけど、むやみやたらカッコいいと思ったものだ。

その思いは今も変わらない。さっぱりなにやってるのかわからないけど。

昔はマイルスはエレクトリックになってからの方がクールだと思うっていうとジャズファンから叱られたものだけど、最近はエレクトリック期を評価せねばジャズファンじゃないみたいな趨勢で、その中でも一番難解とされた「 On the Corner 」を分からなきゃなんねーよ、みたいな言い方がある。でもそうなると、うんざりしてくるんだけど。同じようにエレクトリック期の名盤とされてる「 Bitches Brew 」に比べて 「 On the Corner 」は硬質で、男臭い理想的なファンクを目指してやってる、と思う。それに比べて「 Bitches Brew 」はいささかセンチメンタルな叙情性があって、どこかお涙頂戴的なものが見え隠れしてると思う。その差は演歌と青臭い純情歌の差みたいな気もするのだが、それはまた別の機会に。

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