Folio Vol.10目次など

7 cards, 6 stories

茶石文緒

4th

アンティーク記憶屋

 「いかがですか、こちら1930年代の建物です。当時はまだ大工の腕が良かったんでしょうねえ、土台も基礎もしっかりしたものですよ」
 不動産屋の営業マンはちょっと喋り過ぎだ。俺は適当に聞き流しながら靴を脱ぎ、畳の間に上がり込む。
 「こちら西側の居間ですが十二畳あります。玄関を中心にコの字型になってまして、東側には同じ広さの居間がもう一つ。二階まできれいに左右対称になってます」
 振り返らずに、はあ、と気の抜けた返事を返してやる。自慢じゃないがここに下見にくるのはこれで八回目なのだ。同じ話も八回聴けば返事のしようがなくなる。営業マンも九回目の説明をするのはごめんだと思ったのだろう、今までにない押しの一言を俺の背中にぶつけてきた。
 「そろそろお決めになりませんか。市街地でこれほどの物件はもう出ませんよ」
 俺は中庭に出たところだった。コの字型になった木造住宅は、道路に背を向けて丸く寝ている猫みたいだ。道路から遮断された内側、つまり猫の腹側に、明るい芝生の庭がある。隅に胡桃の木が一本、その下に小さな物置があった。
 やっぱりいいな、この庭。とても静かで優しい空気がある。俺は振り返り、営業マンを見る。
 「契約します」

アンティーク 記憶屋

 古い一軒家を買い取って構えた、念願の自分の店。明治から昭和あたりのレトロな品物を扱う店だ。失われゆく時代へのノスタルジーを込めて記憶屋と名前をつけたが、すぐに後悔することになった。タウンページにもちゃんと「古物商」として登録したのに、なぜか「記憶を売ってくれる店」と勘違いする客がいるのだ。
 散歩をしてる間に帰り道を忘れた、なんて爺さん程度はまだかわいいもんだ。お茶を出して、電話帳で住所を探して、家まで連れて帰ってやった。参ったのは、学校帰りの女子高生が集団で押しかけてきたときだ。「あのさー昔さー、"ラップしてジップして、なんかしてチンよ"てCMあったっしょ?あれ何してチンだっけぇ、おにーさん覚えてない?」とか大騒ぎしやがる。知るか、そんなの。
 でも、女子高生にいい顔したかった俺は、わざわざノートパソコンを持ち出して、検索してやった。「フリージング」という答えが明らかになると、女子どもは礼も言わず、またぎゃーすか騒ぎながら店を出て行った。要するに、帰り道にできた新しい店を好奇心で覗きに来ただけなのだろう。「意外に若くねぇ?」「まぁまぁいけてる」という台詞が喧騒の中に混じっていたのが、まだ救いといえば救いだった。

 だから、その客が来たときも、俺はまたか、と思いこそすれ、それほど驚きはしなかった。
 「友達との約束が、思い出せないんです」
 ある夕方やって来たのは、会社帰りらしくスーツを着た、27、28の男だった。自分と年が近い客が来るのは珍しい。わたくしこういうものです、と名刺を渡された。和田裕也、印刷会社の営業課主任。
 「なんとかして今週中に、思い出さないとならないんですが…」
 「いや、あのですね」
 うちは記憶屋っていっても、そういう店じゃないんですが。そう言いかけた俺を、若い客は控えめに遮った。
 「わかってます。でも、きっとここにヒントがあると思って」
 「ヒント?」
 和田裕也は、ぐるりと店内を見回した。くすんだ壁や古い畳を眺める目が優しい。
 「店長さん、別に、前の持主の方の身内とかじゃないんですよね」
 「いや、全然関係ないですけど」
 痛いところをつかれて、俺は短く応えた。古い家で古いものを売ってはいるが、この町にとっての俺は、3ヶ月足らずの新参者なのだ。
 「ここ、長いこと空家だったんですけど、昔はそろばん教室だったんです。こっちの居間が教室で、向こうの居間が先生の家だったんですよね。で、僕、ここに通ってて」
 「はあ」
 和田裕也の話はこうだった。小学生の頃、親友と一緒にそのそろばん教室に通っていた。その親友は6年生の時、卒業を待たずに転校してしまったのだが、別れ際、友情の証として、2人だけの約束を取り交わしたのだという。
 「そいつが昨日、急に電話よこして。もう12、3年ぶりですよ。で、今週末、帰ってくるって言うんです。会うのは全然いいんですけど、電話切る前にそいつが“あの時の約束、覚えてるか”って…」
 もちろん覚えてるよ、和田裕也は電話口ではそう答えた。でも本当は、自分が何を約束したのか、全く思い出せなかった。考えるだけ考え抜いて、ようやく思い出したのが、このそろばん教室に、約束を書いた紙を残したということ。いつか戻ってきて、ここで再会するつもりだった。
 「中庭にいつも生け花があって。そのときは枝もので水が入ってなかったから、その花器に入れたんです。なんか壺みたいのに、黄色い実がなった枝でしたね。こっそり食べたら不味かったから、それは覚えてるんですけど。……残ってないですよね、そんなの」
 もしも身内が家を継いだなら、古い家財道具も残っていると思ったらしい。俺が全く無関係の人間である事を知ると、寂しそうに溜息をついた。
 「すみませんでした。そうですよね。残ってないですよね」
 「こちらこそお役に立てなくて。………あ、いや、待って」
 俺は咄嗟に、帰りかける和田裕也を引きとめた。あの中庭の物置。中のものを処分しますか、と不動産屋に聞かれて、俺は、そのまま残しておくように頼んだのだった。もしかすると、商売に役立つ古家具なんかが入っているかもしれない。自分で検分してから決めようと思っていたのだった。
 「物置は、昔のままなんです。何かあるかもしれないですよ。探してみましょう」

 俺たちは協力して、物置の中のものをさらっていくことにした。本当ならもっと落ち着いてから、天気のいい日に、ゆっくりやりたい作業だったのだが。
 中庭はもうすっかり暗い。物置の中は懐中電灯しか使えないので、バケツリレーの要領で外に出しては縁側に並べていく。和田裕也はスーツの上着を脱いで、俺の貸したマスクと軍手をして奮闘していた。
 小さく見える物置でも、実にたくさんのものが入っている。古いミシンや壁掛け時計を見つけるたびに、和田裕也は嬉しそうな声を上げた。
 「あ、先生の奥さんのミシンだ。これでそろばんケース直してもらったんですよ、懐かしいなあ」
 「この時計、教室の壁にかかってたやつですよ。まだ動くんじゃないかな」
 古い碁盤と碁石、木製のイス、トランジスタラジオ、食器、長持、そして壺、壺、壺。とにかくやたら壺やら花瓶やらがあった。
 「奥さん、生け花が趣味だったんですよね。早くに亡くなっちゃって、しまいっぱなしにされちゃったんだなあ」
 “生け花の壺”という記憶が確かなら、こいつらの中に、その“約束”があるはずだ。俺たちは、花器類だけを集中して運び出す作戦に切り替えた。
 小一時間後、縁側には壺と花瓶が大小合わせて30個近く並んでいた。いい商品になるとほくほくしてもいい場面だが、思い入れのある人間が横に居ると、あからさまに商売気を出すのが申し訳ないよう気がする。それを見透かしたように、和田裕也が笑った。
 「けっこうこれ、いい収穫なんじゃないですか?」
 和田裕也は、ひとつひとつを懐中電灯で照らして、中を確認している。俺は見ているのが退屈になって、7割方空になった物置を覗き込む。残りの品を漁っていると、やがて、サンダルをつっかけて、庭に下りてくる足音が聞こえた。
 「二度見しましたけど、やっぱりなかったです」
 夜遅くにお騒がせしました、と、沈んだ声で付け足す。そうだろう、そっちにはないはずだ。俺は、にやっと笑って振り返った。
 「見つけましたよ。壺じゃなくて桶だったんだ」
 「え」
 中には木桶が残されていた。ひどく小汚くて、物干し竿やらボロ傘やらが突っ込んであるが、ざっと洗えば使えそうだ。一目見て、浮玉と水草を浮かべる夏の設えにいいなと思った。中身は捨てるつもりで抜き取って、覗き込むと、底に紙切れが一枚、貼り付いていた。
 そっとつまみ上げると、ノートの切れ端らしい罫線がうっすら見える。ああ、これだな、と一瞬でわかった。こんなところで待ってたのか。かくれんぼで最後のひとりを見つけたような、安堵に似た呟きが出た。
 紙片を目にして、あ、と和田裕也が、小さな声を上げる。マスクと軍手を外して、縁側に腰を下ろす。すっかり茶色に変色した紙を手渡してやると、爪でつまんで、丁寧に開いた。
 俺も、後ろから覗き込む。子どもらしい、でっかく四角い字で、ふたつの約束が書かれていた。

 「夢に向かって まっすぐ行こうぜ 吉村利孝」
 「何があっても オレたちの友情は不変 和田裕也」

 漫画の台詞でも書き写したのか、妙に堅くて理想主義な言葉だった。でもこういうの、俺にも覚えがあるような気がする。可笑しくて、まぶしかった。
 和田裕也は、黙ってじっと、紙切れを見つめていた。やがて、ふっと息を抜いて、照れたように笑う。
 「意外に普通でしたね」
 「でも、それが大事なんでしょ」
 「うん、そうですよね。普通だけど性格出るんだなあ、やっぱり」
 ほんとまっすぐなヤツなんですよ、あいつ、紙切れに目を落としたまま、噛みしめるように呟いた。何があってもか、と声に出すと、遠くの友を案じる顔をした。
 「わざわざ改まって、何があっても……なんて、普通言わないですよね。あの頃は、なんにも考えないで書いたけど……僕、あいつに会えたら、ゆっくり話きいてやります」
 疲れが一気にきたのか、和田裕也は、縁側に腰掛けたまま、しばらくぽかんと空を見上げていた。俺はその間にお湯を沸かしに行き、得意のお茶と、ほかほか湯気の立つ温タオルをつくってやった。マスクから出ていた顔の上半分をごしごし拭くと、俺のも彼のも真っ黒になって、思わず互いに笑ってしまう。
 「今日はほんと、ありがとうございました。あいつが帰ってきたら、ここに連れてきていいですか。きっと懐かしがると思うから」
 「いつでもどうぞ。待ってますよ」
 俺は心からそう言って和田裕也を送り出した。記憶をさがす記憶屋も、なかなか悪くないな、と思いながら。

 その晩はさすがの俺もバテてしまって、夕飯も適当にすませて早々に布団にもぐりこんだ。疲れのせいか、縁側に並んだ壺のイメージが頭に残っていたせいか、変な夢を見た。果てしなく並んだ壺を、一つずつラップしてジップしてチンする夢だ。その中には仲間の大切な記憶が入っていて、温めてやればきっと生き返る。俺はそう信じて、一つひとつの壺を、まるでプレゼントでも包むように、丁寧にラップでくるんでやっているのだった。 fin

Tea Time With You天使のちいさな歯のはなし拝啓ヒーローさまアンティーク 記憶屋1,000,000$月と白鳥

7 cards, 6 stories

Profile

茶石文緒
[comment]創刊から2年間、すごく遠かったようにもあっという間のようにも感じます。小説書かせてもらって、連載のスペースもらって、ホント幸せでした。サイキさんに、編集の方たちに、読んでくださる皆さんに、感謝。
[site]ナイトクラブ