おいしい水

さいき

第六話 だんすだんすだんす

Sqeezin' & Blowin'
ジャケット
吾妻 光良 & The Swinging Boppers
→@Victor

友人の家に寄った帰り道だった。小さな商店街の中に哀愁の漂うメロディーが流れていた。サックスの音は録音ではないと響は振り向いた。
「どこだろう?」首を傾げながらしばらく行くと、通りの角から古臭くて派手な衣装を身につけた人が数人現れた。先頭の男がサックスを吹き、二人目の女性は小さなアコーディオンを肩から下げていた。三人目は小柄な男で太鼓のついた箱形の看板みたいなものを抱えていて、四人目の小太りの男がチラシを配っていた。
「あら、珍しい。チンドン屋だわ」

ちょんまげの鬘を被って、青い縦縞の着物を着て、男は延々とサックスを吹き鳴らし続ける。
「フリージャズっていうけど、あれって。ある場所で、ある人々が集まって始めるから、必然的に始まりと終わりがあるわけだよねえ」

響が彼らの姿を見ながら言った。
「もしかすると、チンドン屋みたいに、お仕事だってことは分かってるんだけど、どこから始まりなのか終わりなのかって分からないじゃない?」
「え? 仕事が始まって、終わるってことが始まりと終わりなんじゃ……」
「違うのよ。音楽が始まって終わるってことが音楽によって決められてるんじゃなくて、別のものの要因に決められてるじゃない?」
「うう、ん」

僕はちょっと分からないと首を傾げた。
「えとね」
「あれか。昔の男の話?」

響が以前付き合ってたのはジャズやってた男だった(というのを僕は思いだした)。
「ちがうの。そうじゃなくて、フリージャズだって完全に自由じゃないのよってことが言いたいの」
「うーん」

あの頃は若くてすごく情熱的な恋だったのよと響は前に語ったんだったな、と僕は思う。チンドン屋たちが僕らの脇を通り過ぎがてらにこっと微笑んだ。小太りの男はいかにも人の良さそうな男であちこち小走りに通行人にチラシを手渡していた。微笑んだのはサックスの男だった。白い化粧でぱっと見は若そうに見えるが、実はかなり高齢のようだ。目尻の皺が深かった。小袖を着た女性(も結構いい年齢だ)がくるくると回転して袖を振りながらアコーディオンを奏でていた。そちらは僕らなど目に入らないようだった。

サックスの男の微笑みに僕はいささか混乱しながら「パチンコ特攻一番。花びら大回転、新台入替7月7日!!」とコピー機で作ったようなチラシを眺めた。
「だからあ」

響は何故か固執してるようだった。
「あのね。フリーって音楽によって支配されてる訳じゃない? 敢えて音楽によって語らせようとして、人を集めてその場所を作って。音だけで何か苦闘してるような、苦行してるような」
「まあ、しなくていい苦行をしてるような感じはあるわな」
「茶化さないでよ。だから音楽から逃れようとして音楽に支配されてるっていうかぁ、なんていうのかなあ」
「あ、わかった。時計をしない人みたいな感じ? 俺は時間に支配されないよって言いながら、時間に追われてるような。遅刻したり、約束より早く来て時間を潰すのに苦労するような……」
「それは音也でしょ。いっつも遅刻して」

と言ってるうちに駅に着いたので、話は中断した。

それっきり忘れてるかと思ったら、響は今度は電車の中で僕の脇をつついた。
「練り歩くっていうのって、どの音楽でもあるよね」
「ん?」
「パレードとかブラスバンドとか」

どうやらマーチのことを言ってるようだと思い、僕は「んーと、クラッシックは違うよ」と突っ込んだ。
「クラッシックって貴族の特権じゃない」
「特権ときたか」
「アフリカだって、ニューオリンズのブラスバンドだって、練り歩くよ。リオのカーニバルだって」
「あ、ワルツは踊る」
「もう。私は始まりと終わりの話しをしてるの」

訳がわからん。
「始まりと終わりがあるんだったら、どうせあるんだったら、形が決まったものでもいいじゃない。そうよ。お葬式の音楽だわ。そもそもニューオリンズでジャズ生まれたのも葬送パレードじゃないの」

夕方に太陽は傾いていた。日曜の午後の電車は緩やかに混み始めていた。

ピカチューの風船を持った五歳ぐらいの男の子が、人を掻き分け前から後ろへと進んでいた。吊革に黄色い膨らみが当たって右へ左へ揺れた。人の間に消えても風船だけがしばらく見えた。斉藤(さっきの友人)に貰ったビールがやっと効いてきたような感じだった。とろんと眠いような心地がした。

ズンバッパタリタリラリ〜

家に帰って響が引っ張り出したのは、吾妻光良のアルバムで、なんだ言ってることと違うじゃないかと僕がつつくと、「いいの。これが聴きたいの」と手を出した。
「なんだよ」
「ばか。踊ろうって言ってるのよ」

やれやれ。と僕はテレビの中のアメリカ人のように肩をすくめてみせた。

富士ロック出場記念で今回は吾妻光良。富士には行けないけど、ああいうメジャー系の大きなフェスティバルにいわゆるブルース系アーティストが出場しちゃうなんて、ちょっと驚きでもあるのだけど、ブラックボトム・ブラスバンドやブラインド・ボーイズ・アラバマ、ホワイト・ストライプスとか、忌野清志郎、麗蘭とか。今回の富士ロックに出場するメンツを見ると、ルーツ系のアーティストが好きな僕としてはとても心惹かれるものがある。

「吾妻光良&スインギングバッパーズ」は79年に、ハーピストとして有名な妹尾隆一郎を中心としたローラーコースターズなどに参加した吾妻光良が、学生時代最後の思い出にとビッグバンド付きのオールドスタイルなバンドを組んだのが始まりで、テナー、アルト、トランペット、トロンボーン、ピアノ、ウッドベース、ドラムスという(4リズム+8ホーン)大所帯の編成に、超個性的な吾妻のギターとボーカルが乗り、ウイットに飛んだ歌詞にビッグバンドが絡む。

音楽スタイルは、「サタデイ・ナイト・フィッシュ・フライ」とかで有名な、ルイ・ジョーダン(http://music.www.infoseek.co.jp/cd.html?u0=4988067025708)や、ワイノニー・ハリスなどの1950年代のジャンプミュージックを基本に、ライブではキング・クリムゾンとか出てくることもあって面白い。

昼間は某テレビ局で働きながら、都内を中心にライブ活動を行っている。ギターがものすごい。

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