本文目次など
one hundred years

夢十夜 Remix ミンナノユメ

ふみを

夢一夜 「百合の夢」

 ねえ、あたしがもうすぐ死にますって言ったらどうする?
 彼の部屋のベッドの上から天井を見上げながら呟くと、彼は何も言わずあたしに背を向けた。きっと彼は困った顔をしているのだろう。あたしは後ろから抱き着いてもう一度耳元でささやくように言った。
 ねえ、あたしがもうすぐ死にますって言ったらどうする?
 彼は体をこちらにむけて、あたしの目をじっと見つめた。苛立ったり怒っているわけでもなく、観察するように無表情にじっと見つめている。あたしはこの時の彼の表情がとても好きだ。この眼で見つめられていると、あたしは人以外にのモノになったようになる。
 彼少し困った顔をしながら、俺が何かしたら死なないですむの、と聞いてきたので、つい顔がにやけてしまった。きっと彼ならそう言うだろうと思ったから。あたしは彼の胸に顔をぴったりと付けて、彼の鼓動と温度に包まれながら、どうしても死んじゃうの、例え王子様がキスしても目覚めないの、と言うと彼の手があたしの背中を撫でた。「それでね。死ぬ間際にあたしがずっと待ってて、って言うの。そしたらずっと待っててくれる?」
 彼はもぞもぞと虫のように動きあたしに腕枕をしてくれた。そしてかるく抱き寄せながら、ずっとってどれ位、と言って軽くキスをした。あたしはにんまりと笑いながら彼を見つめる。ずばり百年、と言うと彼は一瞬吃驚した顔をしてから笑顔になった。
 「わかった、待ってるよ。待ってるから絶対逢いに来いよ、ユリ」
 その日は彼の匂いの染み付いた部屋で、彼の腕の中で眠った。夢の中で百年待った彼が百合の花に優しくキスをしていた。

夢二夜 「溺れる夢」

 あたしは自分の部屋で俯いていた。テレビも付けず、カーテンも開けずに。数時間前に帰った彼の匂いもとうに消えさり、あたしは一人ぼっちになっていた。
 彼とは平日にしか逢えない。彼の休日は奥さんと子供に浪費されてしまうから。仕事と家庭に疲れた彼が休む為にあたしの部屋にくるようになってもう、何ヶ月たつだろう。ひょっとしたら一年位立っているかもしれない。あたしは彼のことが好きだ。不倫に酔っているわけでも、人のものだから燃えているわけでもなく、彼を愛している。彼と一緒になれるなら何を犠牲にしても良いと思っている。でも、そう思っているのはあたしだけで、彼はあたしよりも家庭を愛していた。
 「悪いが俺は妻も子供も愛しているんだ。もし、キミがそれらを壊すのならもう二度とキミには逢えない」彼はコートを着ながら言った。何も言えないあたしの頭を軽く撫でて部屋から出て行く。玄関で靴を履きながら、今晩もう一度くるからよく考えて欲しい、と言ってドアを閉めた。
 あたしは彼に、ずっと一緒にいたい、と言った。好きなのだからこれが当たり前だと思う。だけれども彼はとても嫌そうな顔をして、俺が家庭を持っていることを前提で付き合っていたのだろう、そこが良かったんじゃないのか、とあたしから顔を背けながら言った。家庭や仕事、趣味や顔ではなくあたしは『彼』のことを愛している。そのことを伝えたかったのだけれども、彼にはそれは重荷になっていた。
 時計が17時を告げる。彼が、夜に来る、と言うと大体17時半位にやってくる。それまでに彼が納得する答えを探さなくては、きっとあたしは捨てられるだろう。ぼんやりと台所を見ると実家から持ってきた包丁が鈍く、冷たく光っていた。そこらへんで売っているステンレス製のや刃先の丸く横に穴が開いているのと違って、こまめに研がなくては錆びてしまうが、手になじみずっしりとして、切れ味が良くとても使いやすい。
 彼がいなくなったら、あたしは自分がいらなくなる。彼無しで生きていけるわけが無い。それなら死んだほうがずっとましだ。そう思うと、あたしの手は自然に包丁を求めた。台所から持ってきてじっと刃を見ていると、彼が子供を抱いて奥さんと笑いながら話しているのが見えるような気がした。オレンジ色のカーテンと木目調のテーブル、部屋の空気すら彼らを暖かく包み込んでいるように思える。それは絵に描いたような幸せそうな風景で、あたしは鳥肌が立った。どうしてその風景にあたしは入れないのだろう。
 どうして、どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。包丁を持つ手が震えてくる。そっと左手の手首に当てると冷たくて気持ちよかった。そのまま包丁を、すっと引いてみると、血がじんわりとにじみ出てきた。手首から垂れてくる血を見ていると、自分を実感できて安心する。あたしは自分に、大丈夫、と何度も言い聞かせた。
 それからぼんやりと、どうすれば彼と離れないで済むのか考えた。考えているうちに部屋が真っ白になり、周りの音も聞こえなくなった。完全なる無の世界であたしは彼のことだけを考えた。
 彼をこの部屋から出られないようにすればいいのか。そう思うと包丁が怪しく光ったように見えた。たとえ歩けなくても、顔がぐちゃぐちゃに潰れていても、あたしは彼を愛せる自信がある。彼なら例え死体になっても愛せる。
 玄関のチャイムが鳴り我に返ると、もう18時だった。あたしの部屋を尋ねてくるのは彼しかいない。あたしは包丁をクッションの下に隠して玄関に向かった。

夢三夜 「夢の現実」

 ここはどこだろう。あたしは盲目の彼と手を繋ぎながら歩いている。何時、誰と来たのかまったく記憶に無いけれど、この風景を覚えている。たしかこの角を曲がると田圃があったはずだ。あたしは彼の手を引いて角を曲がった。彼はあたしの恋人だけど、何処で出会ったのか憶えていない。思い出そうとするの頭の中に霧がかかっていき、総てを真っ白に隠してしまう。
 田圃に掛かったね、と彼は言った。あたしは吃驚して彼の方を見た。彼は田圃の方を向いていたが、やはり目は閉ざされたままだった。どうしてわかるの、とあたしが尋ねると、彼は田圃の方を向いたまま、だって鷺が鳴いているじゃないか、と当たり前のように言った。あたしは恋人ながら怖くなった。彼のまるで目が見えているような勘の良さに。ひょっとしたら彼は人の心すら読めるのかもしれない。いっそのことここに置いて走って帰ってしまおうかと思った。すると彼は、フフン、と鼻で笑った。あたしが、どうしたの、と尋ねると、別に、と言ってにんやりと笑った。その笑った顔を見てぞっとした。やはりどこかに置いていこう、この先彼と一緒にいることを想像したら、怖くてたまらなくなった。ふと田圃の向こうを見ると大きな森があった。あそこなら、彼は帰ってこれなくなるだろう。彼はまた、フフン、と鼻を鳴らした。
 あたしは黙々と森を目印に歩いていった。道は不規則に曲がっていて、森から遠ざかって行く様な気がしてくる、正面に見えていた森が気が付くと、左へ右へと移っていくと段々不安になってくる。気持ちばかり焦って森は全然近づいてこなかった。もう一時間は歩いただろうか、足には疲れが溜まり、歩みは遅くなってくる。
 「もう少し行くと、ベンチがあるよ。」彼はにんまりと笑ったままの顔で言った。彼の言うとおり、少し先を曲がったところに木でできたベンチがあった。ペンキは所々剥がれていて、足が少し腐っている。座るのに躊躇っていると、座れば、と言いながら、彼が座った。あたしがとなりに腰をかけると、いやいや、盲目は疲れるよ、と言った。「だからあたしが手を引いてるじゃない」疲れて少し苛々していたのか、あたしの口から出た言葉は吃驚するほど感情的だった。その言葉を彼は鼻で笑い、ほらね、と言った。「手を引いてもらってるのに申し訳ないけど、親切を押し売りされるんだよね、親や恋人にも」
 なんだかもう嫌になった。いらつくのだけど、そのいらつきを何処にぶつけてよいのかわからない。体の中にたまって自分にぶつかっていくような気がした。
 「よし、そろそろ行こうか」あたしが言うと、彼は座ったまま、どっちに、と言った。道の先を見ると二股に分かれている。表には右「髭久保」左「彫田縄」と書いてあった。あたしが少し悩んでいると、左がいいんじゃない、と彼が言った。左を見ると、森は正面になり道は広がり、その先は黒く大きな穴のようになっていた。少し怖くなり躊躇していると、遠慮しなくてもいいと彼が言った。あたしは怖がっているのを読まれたと思いかったした。そして彼の手を強引に引き、「彫田縄」と書かれた道を歩いていった。
 森に入ると彼が、ようやく付いたね、と言った。「もう少し歩くと右の方に大きな杉の木が見えてくるよ」あたしは彼が何を考えているのかわかならくなり思わず、何が、と彼に聞いてみた。すると彼は当たり前の顔をして、「何がって、わかってるじゃないか。これでもう二度目なんだから」と嘲るように言った。
 そうか二度目なのか。彼に言われるとなんだかわからないけれど、知っているような気がしてくる。衝撃と炎。轟音があたしの記憶の中から蘇ってきた。やはりあたしはこの場所にきたことがある。なんだかわからないけれど、こんな夜だった気がする。きっともう少し奥にいけば何かを思い出すだろう。そう思うと段々と不安になってくる。早く彼を置いてこの場をさらなくては。あたしはますます足を速めた。
 大きな杉の木の根元の所でそうそう、丁度この辺だったよな、と彼が言った。木はとても大きいのだけれど、幹の部分がえぐれていて焦げ付いていた。何か大きな物がぶつかり燃えたのか、えぐれている部分を中心に円を書くように枝や葉が焦げていた。

 「丁度一年前だよね」と彼が言う。その言葉があたしの頭の中で共鳴して広がっていく。あたしは涙をながしながら、そうだね、と言った。木の根元には沢山の花や手紙が添えられている。雨や朝露で滲んだその手紙はあたし宛だった。彼の見えない目から涙が溢れ出していた。「去年ふたりでドライブに行った帰りに、居眠り運転のトラックに当てられて俺達はここに落ちたんだ」彼の声は弱々しく震えていた。

 あぁそうだ。そして彼は視力を失い、あたしは命を無くしたんだ。

 彼はあたしを抱きしめたが、彼の暖かさは伝わってこない。気が付いてからあたしの周りは真っ暗闇になっていた。

夢四夜 「モノクロの夢」

 それは何処にでもあるような居酒屋で、周りでは沢山の人達が楽しそうに飲んでいる。顔を赤くして大きな声を出している人や熱心に女の子に話しかけている人、ビールを一気に飲み干す人。その中で一際静かなテーブルがある。刺身やポテトフライを肴にチューハイを飲む男は少しだけ顔を赤くしていた。男は楽しそうにチューハイを飲み干し、店員にお代わりを頼んだ。女は注文してから、まだ一口も飲んでいないグラスをかき回し氷を、カランカランと鳴らしながら、あたし達付き合って何年経った?と聞いた。男は店員が持ってきたチューハイを一口飲み、刺身を一切れ口に放り込む。ゆっくりと味わうように食べて、チューハイで流し込み、さぁどれくらい経つのだろうねぇ、と澄まして言った。女は大きくため息を吐き、あたし今年で三十になるんだよ、と言った。「あんたが家に転がり込んできてからもう六年経つんだよ。この前実家に帰った時に親に同棲してる彼氏がいるって言ったら、いつ結婚するんだ。もう結婚しても良い歳なんじゃないのかって言われて大変だったんだから」
 女が喋っている間、男は肴をきれいにたいらげてチューハイを飲み干した。そんな女を気にもとめない様子で立ち上がりポケットに手を入れた。何処に行くのよ、と女が言う。その声は少しヒステリックに店内に響いた。男は平然と、臍の奥だよ、と言って一人で笑った。男はレジに向かいポケットから一万円札を取り出す。女は慌てて荷物をまとめて男の後を追った。
 店員が会計をしている間に女は男に追いつき腕を絡めて、ちょっと待ってよ、と言った。「怒ったの?でもそろそろ先のこと考えないと。いつまでもフリーターでいられないんだしさあ」
 おつりを貰って外に出ると、男はにっこりと笑いながらおんなに、結婚しよう、と言った。「定職にも就くし子供も作ろう、庭付きの家を買って犬を飼おう」女は俯いて小さな声で、酔っ払いが、とこぼした。
 女はふらふら歩く男を横で支えながら、ゆっくりとした足並みで家路に向かう。途中、男は、結婚しよう仕事をしよう、と繰り返し言った。家の前まで来ても、男は歩くのを止めない。ひっぱる女の手を振りほどき、子供を産もう家を買おう、と何処かで聴いた事あるメロディに載せて歌った。
 男はそのまま一人でまっすぐ歩いていってしまった。女は、まったくもう、と言って、男の姿が見えなくなるまで、その場で見てから独り家に戻った。
 女は家に帰り部屋を温め一服しながら、あの調子じゃあ明日の朝には忘れているだろう、急に結婚話をされて困って酔っ払って逃げたに違いないと思った。正直女は焦っていた。実家から早く結婚しろと言われ、職場の同期も段々と減っていった。このままでは最後まで残ってしまう、この歳で新しい相手を探すのも疲れる。なんとか彼に自覚を持ってほしい。そう考えると女にじんわりと疲労感が広がった。
 それから女はシャワーを浴びてから部屋に戻った。枕に顔を埋め時計の音を聞きながら、今後のことを考える。とりあえず彼に就職してもらおう。そして落ち着いたら彼の両親に会いにいこう。そう思ってから女は、はっとした。男の実家は何処なんだろう。いや、それどころか男のアルバイト先や友達、男の過去を何一つ知らないことに気が付いた。数年前に居酒屋でナンパされ、それから家に住み着いた。女の知っていることはそれだけで、男の名前すら本名なのか確証がない。
 女は嫌な予感を誤魔化すように、男が帰ってきたら全部聞き出そう、言うまで寝かさないぞ、と思い、たった一人でベッドの中でいつまでも待っていた。けれど男はとうとう帰ってこなかった。

夢六夜 「青過ぎる夢」

 あたしが最初に彼の噂を聞いたのは、大学の後輩からだった。その子は同じサークルの旅行好きの後輩で、ついこの間まで季節はずれの沖縄旅行に行っていた。数週間ぶりに会った後輩は、健康的に焼けていて普段よりも元気だった。あたしが、どうだった沖縄、と聞くと後輩は、センパイの元彼がいましたよ、少し興奮気味に言った。
 彼とは今年の夏に別れた。それも一方的にフラレタ。生温かい雨の降る夜に、いきなりうちにやってきた彼は、大学を辞めてガラス職人になる、と言った。突然のことに何もいえないあたしに彼は、バイバイ、と一言だけ言って去っていった。その目はあたしを真っ直ぐ見ているようだったけれど、あたしの姿が映っていないようだった。そして翌日から音信不通になった。あたしは恥も外聞も無く、知り合いに彼のことを聞き歩いたが、何も分からなかった。この時あたしは意外と彼のことを知らなかったのだと思った。彼の好きなことや趣味は知っていても、彼の考えていることを分かっていなかった。そして探し疲れはあたしは、彼を諦めることを選択した。普段よりもアルバイトする時間を増やし、サークルの飲み会や友達の誘いに積極的に参加して、余計なことを考えたり独りになる時間を減らした。
 後輩の話によると、彼は本当にガラス職人になっていた。観光客相手の民芸品屋さんの奥の工房でグラスを作っていたらしい。沖縄の日差しで真っ黒に焼けていて、別人のようだったと後輩は言った。話を聞いていると、生温かい雨の夜が昨日のことのように思えてくる。彼を探すことに疲れ忘れることを決意した時に、心の中に封印したはずの思い出が蘇ってくる。
 その後あたしはバイトを休み家に帰った。ベッドに横になり、真っ暗な天井を見ながら、沖縄に行くことを決意した。彼のことを今でも愛しているわけでも、未練があるわけでもない。ただ、何故彼が大学を辞めてまでガラス職人になりたかったのか、そして何故沖縄でなくてはならなかったのか知りたかった。

 頭で考えることしかできないあたしは、飛行機の中でもずっと彼のことを考えていた。お店の場所は後輩から聞いたとはいえ、一泊二日の間で彼に逢うことは出来るのだろうか。気持ちが沈み心の中のあたしが後ろ向きになっていると、飛行機は沖縄に着いた。ついてしまった以上、あたしは彼に逢わなくてはならない。あたしには理由を聞く権利があるのだ、と自分に言い聞かせた。
 彼は驚くほど早く見つかった。空港の側の民芸品屋さんでレジを打っていた。考えてみれば逃亡者ではなのだし、あたしが探しにくることを知っているわけではないのだから。彼は愛想良く笑い、入ってくるお客さんに、いらっしゃいませ、と言っている。東京であたしと付き合っていた頃には考えられない姿だ。あたしの知っている彼は、もっと生気がなくボーっとしていていた。お店にあたしが入ると、いらっしゃ…、と途中で言いかけ、一瞬びっくりした顔をしたが、あたしを真っ直ぐに見つめて、にっこりと嬉しそうに笑い、いらっしゃいませ、と言いなおした。あたしは耳が熱くなり視線をそらしてしまった。あの生温かい雨の夜があたしのでっちあげた都合のよい記憶で、彼はちゃんと説明してくれたのかと思えてきた。
 久しぶり元気だった、と彼はあたしに歩み寄りながら言った。「こんな時期に旅行?学校はどうしたの?」いつも聞いていた彼の声と、健康的な小麦色の肌のギャップに違和感を覚え、なんだか上手くしゃべれないでいると彼はあたしの肩を軽く叩いた。「もうすぐで交代なんだ、これから工房でガラス作りをするんだけ見て行かない?」あたしがぶっきら棒に、いいよ、とだけ言うと、彼はまた嬉しそうに笑った。
 とても暑い工房で彼は真剣な顔をして、グラスを作っている。東京にいた時とはまるで別人のように、力のこもった目をしている。この目を見ていると、彼が真剣なことが伝わってくる。そしてそれと同時に彼にどうしても聞きたかったことを思い出した。わざわざ沖縄に行かなくても、ガラス職人になれる方法は東京でもいくらでもあるのに、なんで大学を辞めてまで沖縄でガラスを作っているのだろう。考えていると、彼は一つの工程が終わり、冷たいお茶を持ってきてくれた。あたしに手渡しながら、やっぱり退屈だった、良かったらやってみない?と言った。あたしが、やりたい、と言うと彼は嬉しそうな顔をした。彼と一緒に長い棒の先に付けた、赤く熱しられたガラスを回すのだけれど、どうしてもいびつになってしまう。何度か挑戦したが彼のように上手く出来なかった。汗だくになり、お茶を飲んで一休みしているあたしに、形を作ろうとしては上手くいかないよ、と言った。「回しながらガラスがなりたい形に合わせていくんだ、そうすると自然と形になっていくんだよ」あたしは彼が言っていることを上手く理解出来ずに、へぇ、と頷いた。お茶を飲み干し、おもむろにグラスを光にかざすと、とても綺麗な水色をしていた。歪んでいて決して上手なグラスではないのだけれど、手に吸い付くように持ちやすかった。あたしがまじまじと見ていると彼は、それも俺が作ったんだよ、と言って笑った。東京にいる時よりもよく笑い、しゃべる彼がきっと本来の姿なんだろう。

 沖縄の空よりも綺麗な水色で、海よりも透き通っている彼の作ったグラスを見て、あたしはなんで彼が沖縄を選んだのかわかった気がした。[fin]

ふみを
WRITER ふみを
夢十夜は、とても好きな作品なので、今回参加できて嬉しいです。
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文学リミックス
夏目漱石「夢十夜」
「こんな夢を見た。」という書き出しで始まる不可思議で生々しい夢の掌編十本。ひとたび読めば香り立つような情景が広がり濃厚な世界が味わえる。
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