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one hundred years

メッセージをどうぞ

茶石 文緒

大人の、大人による、大人のための

 子供の頃、「素直」とか「無邪気」とかいう言葉が大嫌いだった。
 嫌いというより、信じられなかったのだ。だって大人がそういう言葉を口に出すのは、彼らが「自分たちの目から見て気持ちのいい状態」を想定しているときだけだったから。明るく社交的で子供同士の付合いを心底楽しみ、大人のお節介やら干渉やらにいちいち喜んでみせながら、時には相手を喜ばせる類の可愛い我儘を言ってみせる。何の苦もなく、あるいはたいした作為も必要なく、そう振舞える子供も確かにいるのだろうが、わたしはそういうことが苦手だった。
 わたしが本当に素直でいられるのは一人でいるときだった。人の目に晒されながら自分自身をオープンにすることが苦手だったし、みんなで足並み揃えて同じことをするのは心底かったるかった。そのせいでまた「秘密主義なんて子供らしくない」「協調性がない、変わった子供」と非難されるものだから余計にイラついた。本当の意味で素直でいて欲しいなら、余計なことを言わずに放っておいてくれればいいのに。
 素直じゃない、子供らしくないと言われながら、わたしは一日も早く大人になりたかった。他人から見て都合のいい無邪気さなんか求められない年頃に早くなりたかった。そんなものは、コブ取り爺さんのコブと同じようなもので、「いつ捨てるか」以外に考えることなんか何もない、と思っていた。

 失ったものの大きさに気づくのは、いつだって、すでにそれを取り戻す術を失った後。

 大人になってから気がついた。無邪気さというのは表面に現れる現象ではなく、身の内に抱かれて、幼い頃に浴びた太陽の光をしずかに蓄えている原石のようなものなのだ、と。そのとき蓄えた輝きは、大人になっても失われるわけではない。それは内側から滲み出して、触れる人まで瑞々しい気持ちにさせてくれる。
 年を重ねてなお、その輝きを保っていられる大人ほど魅力的な存在はない。程良い子供っぽさを持ち合わせた男は、女心をぎゅっと掴むのが犯罪的に上手だし、見栄や損得抜きで気持ちを開いてみせてくれる女は、一生愛せる極上のともだちになる。
 そういう人たちに出会うと必ず思う。年相応の幼さは、年相応の頃に十分味わっておくべきだったのだ。心の中の無邪気さを打ち消そうとするなんて、自分で自分の口を塞ぐようなもの。無理矢理に息の根を止めなくても、いつのまにか身勝手も拙さも綺麗に濾過され、自然と流れ落ちていく。残るのは自然の手で円やかに磨き上げられ、穏やかな光を放ち続けるその人だけの宝石。そうやって「素直に」大人になるのが、本当は、いちばん幸せなことだったのだ。

 チック・コリアというのは、自分の中に子供らしい純粋さを上手に保ったまま大人になった、とても幸福なピアニストの一人だと思う。たとえば、限定盤のボックス・セット「Music Forever & Beyond」には、こんな仕掛けがある。CDをスタートさせると、流れてくるのは8歳のチックの声。両親が録音して保存していたものだという、ちょっと舌っ足らずな子供の声が、「Hello, this is Chick....」と挨拶したかと思うと、おもむろにジャズのフレーズを弾き始める。その話し方と同じようにたどたどしいリズムを聴いていると、鍵盤の上を跳ねまわる小さな手が見えるよう。可愛らしいちびチックがお茶目に挨拶して引っ込んだと思ったら、一瞬の間も置かず、その残像に重なるように、すっと大人のチックが現れる。2曲目は「ラッシュ・ライフ」、スマートで甘美なソロ・ナンバー。素晴らしく洗練されてはいるけれど、その音色は相変わらず活き活きと、汚れを知らない茶目っ気を残している。なんて心憎い演出!
 そんなわけで、自分の中に無邪気さを取り戻したいとき、わたしはチックのピアノを聴く。「Children's Song」というタイトルのソロ・アルバムは、おそらく本物の子供に好まれる類の音楽ではないだろう。童謡とかアニメソングとか、そういうものとは全く種類が違う、大人の手によって編まれた、大人のための音。にもかかわらず、その音楽は、子供以上に澄み切った無邪気さに満ちている。
 何の濁りもない、超シンプルなCメジャーで始まるオープニング。はしゃいだ感じはなく、むしろしんと静かな独り言のようなピアノ。空想癖の子供が妖精と架空のお話を織り上げていくように、チックは一人で、小さな音符たちと自在に遊ぶ。静かだった音楽は次第に目を醒まし、(たとえではなく本当に)飛んだり跳ねたりし始める。生命力と好奇心がうずうずして、じっとしていられない、あのワクワク感がピアノから伝わってくる。
 そうしてさんざん一人で遊びまくったあとで、ラストを飾るのはヴァイオリンとのデュオ。凛とクリアーなAメジャーの小品、これがまた最高にいい。一人が二人になるだけで、こんなに変わるものかと思うくらいに鮮やかな音色。まるでトム・ソーヤとハックルベリイ、あるいはジョバンニとカムパネルラ。本当に通じ合えるともだちと過ごした時間は、そのやりとりがどんなに幼くて、笑えるほどくだらないものだったとしても、こんなふうに濃密で完成されているのに違いない。いつかその子が遠くへ行ってしまって、もう二度と会うことはないとしても、その記憶は誰にも汚されない、永遠の宝物として残っている。

 ここにあるのは、大人が紡ぐ、大人による、大人のためのイノセント。固まりきった心をノックする小さな音符たち。くすぐるようなその誘いを無視することなんて、できるわけない。だからわたしは、閉じていた扉を、もういちど開ける気になる。
 気づくのはそりゃ、ちょっぴり遅かったけれど。今からだってほんの少し、無邪気さを取り戻したって、いいじゃない、苦笑まじりに、そんなことを呟きながら。[fin]

茶石文緒
WRITER 茶石文緒
廃墟が好きです。煌びやかなショッピングモールやタワーマンションが、100年経って廃墟になるのが今から楽しみです。
URL:ナイトクラブ

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Chick Corea
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「Children's Songs」
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