彼女に意味があればいいのだが恐らく無い。しかし彼女は僕の郵便受けに幽霊を出す鍵を入れてしまったのだから仕方が無い。幽霊は僕のオペラであり、歌劇は遂に始まる。舞台上で好きと言えば君は振り向くだろうか。一つの台詞として受け止めるだろうか。幽霊は形を成し、君を魅力的な街にする。そこを歩き様々を感じる僕は歌劇の中にいるだけだ。ダンスホールに光が灯り、僕は君に恋をする。幽霊が舞い、歌を唄う。
ヒヨコが好きなの、と彼女は言った。それは昼下がりの出来事で、僕は鶏の唐揚げを頬張っていた。その肉汁は口内に広がり、ほのかに漂う血の香りが新鮮さを物語る。窓外に見える飼育小屋では鶏が日光を楽しむように眠っており、以前触れたその体温を思い出させる。たやすく手折れるであろう足を鋏で切りたい衝動に駆られた。動物虐待の趣味は無いが、足を切り目の前に差し出した時の顔が見たい。啄むだろうか。肉汁を嚥下すると、鶏が起き出し、忙しなく鳴いた。彼女はヒヨコに似たキャラクターグッズを細い指で弄っていた。
それは単純な出来事で、殺菌すれば菌が殺されるといったことであり、マキロンは殺害するための道具なのだ。目的を持って生産された上に、用途まで似通っているとあれば、それは銃火器と何ら変わりは無い。ライターは火を灯す道具であり、ヒヨコは鶏の子どもである。われわれはヒヨコを愛玩することが往々にしてあり、鶏は食されることが往々にしてある。秋も深まったこの季節、彼女は紺色の上着を羽織っており、その袖は長く手の甲まで包み込む。
彼女がノートに記述した文字の中に愛を論じる言葉があったが、それは黒板を書写したのみで、それ以外のなにものでも無い。
子を産んだ知人がいたので病院に行く。生まれた赤子は小さく、少し噛むだけで肉汁が飛び出そうであった。知人は子の名前を懸命に考案したが、その名前は子にも親の顔にも似つかわしくなく思え、ただ僕は唐揚げを想った。
子の画像が映っている携帯電話の画面を見ていた。彼女はかわいいと言った。赤ちゃん欲しいなあと言った。
僕は赤子を食べてはいなかった。
彼女の住んでいる家は高台にある僕の家から肉眼で確認でき、それは住宅街の一軒である。その屋根は赤子の肌のように紅く、時折眺めてはかわいいと思う。
双眼鏡で彼女の部屋を見ると、カーテンの向こうに、動く影があったりもする。
上記した彼女の言葉は全て動く影を見ながら想像したものであり、僕は彼女と口をきいた事が無い。ただヒヨコが好きな事は、教室で見た彼女の文房具と、開いたカーテンの向こうに置かれた大きな縫い包みから、容易に察せられる。
紺色の首元から解れた糸が伸びて、ゆらゆらと揺れる。