じゃがいもがうちに届いた。大量にだ。僕ら二人でのんびり食べてたら、やがて発芽して根が生えてくるだろう。響は段ボール箱をうんざりしながら見て、言った。
「やんなっちゃうわね。昔っから帯広くんは、適量ってものを知らない」
と、頭を掻いた。
帯広というのは響の学生の頃の友人でゼミだかなんだかの仲間だった。彼らはよくつるんで旅行に行ったりしてたらしいし、男でも女でもなく子供のようにはしゃいで酔っぱらって、雑魚寝をするような仲間だったようだ。詳しいことは知らない。
先日、その仲間との集まりがあったようで、帯広くんに芋を送って貰う約束になっていたらしい。で、届いた訳だ。彼は札幌に住んでいる。
「札幌の帯広なのよ。帯広・帯広っていうから、ホントの名前なんか忘れちゃったわ」
宅配便の伝票に書かれている名前も「帯広」だった。
「合宿の時ね」と響は懐かしそうな目をする。帯広くんの長い昔話が始まるのだが、とりあえず皮を剥くのを手伝いながら僕はじゃがいもの原産地はどこだっただろうかと考えるのだった。
そういや、と大昔に歴史の事業でならった記憶が蘇ってくる。
じゃがいもの物語だ。
クラーク教授がでてきて、青年よ大志を抱けと言ったそうな。だが、それ以前のことなど気にしたことない。響に訊いても分からないと首を振る。調べてみると、南米のペルーらしい。アンデス山中で、マチュピチュの遺跡とか高原で栽培されていたのだそうだ。
それと共に、いろいろとじゃがいもの話を読みつつ、ナスとじゃがいもってあんまり一緒に食べたりしないよねとか言いながら剥いた芋の山に驚いたりした。気がつくと多すぎる程のじゃがいもが詰まれていた。
一世紀前のアイルランドの飢饉を救ったのがじゃがいもだった。農民が食べるものがまったくない状態で苦しんでいる時に、唯一痩せた土地で生育することを許したのはじゃがいもだった。彼らはじゃがいもを食べて生き延びた。そして新天地アメリカに渡り、子孫が生まれてケネディ大統領になるという物語だ。
「この前観た、『シッピング・ニュース』っていう映画に吹雪のシーンがあって、何人もの人が家を引っ張ってたわ」
響はテーブルの上に飛んだ皮の欠片を拾い集めながらいった。
「あれは別の国の話じゃなかったけ? フィヨルドとかだから……」
「そっか。でも、何にでも合うよね、これ」
手の上で大地の果実を転がす。
「うん」
「そっか、コロッケ作ろう。コロッケ」
「今まで何も考えてなかったのか」と訊くとえへへと笑った。
「アイルランド、行きたいね」
「うん」
一度は行ってみたい土地としてアイルランドがある。なにもないひろい平原。冷たい風が吹くオーディーンの大地。遺跡とか謎が多いよねと、響。あの石が並んでるのってなんだっけ? きっとストーンヘンジかなにかだとおもうよ。ふーん。
映画や写真でしか知らないけれど、豊かではない大地と迫害させた人々。だからこそ豊かで深い歴史と神話、そして音楽を想像した。
潮の匂いがする。強い風が頬を叩くようにして通りすぎ、ベッドから起きたまま乱れた髪を掻きむしって行く。
見渡すかぎりの広い平地だ。短い草が生えて風の流れに沿ってまるで海の表面のようだ。その間に灰色でゴツゴツとした石が波間の磯のように頭だけ出してぽつりぽつりと見える。薄い雲が遠くの空を布を敷いたようにぼんやりとくもらしていて、空と大地との間に大きな石の建造物が立っている。石が建てられているのは丘のようになっていて、円形に並べられているのだろうか、人型の像とかではなく、ただの石だからこそ、それは異様でかつ自然の一部のような気がした。雲の隙間から石に向かって数条の日の光が斜めに射していて、大地と天上とを結ぶ階段のようにも見えた。神聖で静かで美しい光景だった。
響が僕を呼ぶ。ねえ、あそこまで行ってみようよ。近づいてはならないという恐れと、その場所へゆかねばならないような、引きつけられる思いが交差した。だが、僕は頷いて歩きだす。言葉もなく草の海を。
僕らはコロッケを揚げ、そして腹一杯食べた。そしてアイルランドの荒涼とした大地を、村から排斥されたインカ帝国の派手な衣装をつけた人々が、大きな家を引っ張りながら歌を歌っている夢をみた。
それは物語の悲しさからは想像がつかない、とても力強くリズム感に溢れた歌だった。
了
アイリッシュミュージックはとても力強い。リズム感も音楽性もどこか芯がありとても元気だ。古くはヴァン・モリソンやロリー・ギャラガーや、ギルバート・オ・サリヴァンやThin Lizzy、クラナドなど、ジャンルは違えどそこに共通するのは力強さや時代の表面に流されない音楽への信頼があると思う。
友人から勧められ、Kilaの視聴して、びっくり。CDも買わずにこの夏、来日公演に行きました。ボーカル、リズム(ボーランというハンドドラム)のローナン・オ・スノディの豊かな声と、美しいリズムハーモニー。プログレッシブミュージックかと思われる程変転する楽曲が、高まったりそして頂点に辿り着く瞬間のエクスタシー。とても素晴らしいライブで、一気に気に入ってしまいました。音楽が豊穣な土地というのでもアイルランドはとても行ってみたい場所です。
アイリッシュトラッド系としては
土着な感じ+α。
あたりが従来のトラッドでなく、かといってエンヤの方向性でもなく、生の演奏込みで、近年面白いと思う。
*それはそうと、ここから下は全く個人的な意見なのですが、著作権法が改正されて輸入盤が規制させてゆくような法律がここ半年ぐらいの間に生まれてきています。詳しくは「海外盤CD輸入禁止に反対する」ブログや「著作権法改正要望のパブリックコメントを追跡する」のブログ、「音楽配信メモ」さんの『だれが「音楽」を殺すのか?』という本を読んで頂けると詳しく書かれているので、生半可な知識で僕が説明するよりいいと思います。
実際、大きな輸入小売店では、日本盤がCCCDで作られた製品と同タイトルの輸入盤は、かなりCCCDではないプレスが手に入らなくなってきています(大手のレコード会社はアメリカ国内への販売は通常CDで、国外に対してはCCCDという輸出をしているので)。アメリカ盤のちゃんと聴けるCDの入手が困難になってきています。一連の動きによって、CCCDはよろしくないという動きもでてきていますが、市場に流通する量はかなり出回ってて、実際、CDプレーヤーが壊れたという話に枚挙の暇がない。なにより、レートの低いmp3を聞かされてるようで、音質が悪い。全廃されたとしても、著作権絡みの話はややこしいし、地震や戦争の大きな報道の影でこっそり改正されていて、普段生活していて、あまり気が付きにくいのですが、このままでは規制ばかりで、うっかりするといい音楽を探して聴くこと自体が難しくなって行きそうです。というか、ほとんど「音楽は殺されようとしてる」んじゃないかな。